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東京警察病院入院日誌


  
↑ 警察のマスコットの 『ピーポ君』 です。

 つい最近の2012年(平成24年) 5月中旬から下旬にかけて、このサイトの管理者 八岳晴耕 は、東京はJR中野駅の北側に拡がる美しい『中野四季の森』のすぐ隣にある『東京警察病院』に、鼠径(そけい) ヘルニアの手術(分かり易く言うと、脱腸の事です!)を受ける為、9日間ほど入院しましたが、その間の体験を日記の形で、ここに纏めてみる事に致しました。。

 ・・・・・・と言うのは、手術などというものは、私達は・・・・そんなに度々経験できるものではありませんし、私の人生の中の非常に貴重な経験の一つだと言う事が先ず一つ。 と同時に、私にとっては、もう一つ・・・・・・色々な人と出会う事が出来る、非常に素晴らしいひと時だとも思えて来るからです。

 それと、あと一つ。数年前に・・・・『東京警察病院』という名前を初めて耳にした時、私自身、この病院は全国の警察官および、そのご家族の為の特定病院 (← こんな言葉が、正式に あるのかどうか? 僕はしらない!・・・・ただ、今フト思い付いただけである・・・・) ではないかと思ったのだが、実際は、ごくごく普通の一般人である私達もが利用できる、ごく普通の総合病院である事が 後日 分った為 ・・・・あら勿体無い! 私以外にも、その様に感じている人がいたとすると、それは、この病院の近くに住んでいるわれわれ地元の人達、又、この病院を利用できる場所に住んでいる人達にとっても、大きな損失だと思えてくるようになった為、このサイトに足を運んで下さる 私の友人・知人 およびサイトの読者の皆様方に、この病院がどんな病院かという事を知って頂きたいと考え始めたからである。

 それとアトもう一つ!
 私が、この様なコーナーを、自作のサイトに載せたからと言って、私は(そうして呉れと、病院から頼まれた訳でもありませんし、何か謝礼などを戴いているわけでも全くありません!! ・・・・・・もし、私が本当に素直に心の中で感ずる事があるとすれば、『外来の初日に私体を診察してくださった ドクター横畠 (←頭脳明晰で愉快な先生です!・・・・失礼!) をはじめとする皆様方が、今回の私の鼠径ヘルニアを治して下さった事を、心から感謝しているからです !』 
  

   
   

  
     
今回の手術入院でお世話になった先生方です・・・・
 と同時に、私の友人・知人が、もし、この記事を読んだ後、この病院を訪れる事があったら、私同様、その友人・知人達をも是非是非ヨロシクお願い致します!・・・・・・と心の中で、病院の皆様方に・・・・・・素直にお願い致したく感じているからでもアルンデアリマス!その事だけは、先ず初めに申し上げて置きたいと存じます。

 ・・・・・・という ひと言だけを申し上げて、早速、この入院日誌を書き始めたいと思いますが、今回の2012年05月17日に始まった入院は、次の様な 序曲 から始まりました。
 その 序曲 は、以下に述べる様な、 4月17日 〜 20日 の愉快な旅の移動と、歩き回りと、ダンスの楽しさ追求の4日間でした。

 さて、私こと八岳晴耕には、実に沢山の楽しい友達が居ります。
 その友達には、どんな友達が居るかと申しますと・・・・小学校時代の友達・商業高校時代の友達・東京商船大学時代の友達・ソニー社員時代の友達・八ヶ岳山麓のヒュッテの近くで知り合った山好きの友達や、趣味のダンス仲間 達が居ります。
 そして、この4日間の特徴は、そういった友達や仲間達との付き合いや趣味のダンスの楽しさに夢中になった、4日間でもあったのです。
 それとは別に、今回の手術入院からの退院後、折に触れて ソケイヘルニア に関する印刷物などを読んだり、友人の話を聞いたりしている中に・・・・・・上に述べた様な 『いま自分が直面している物事に全力投球する』という・・・・単純な性格を自分自身が持っている為に、そして、 気が付かぬうちに体力消耗と疲労の過重負担を抱え込んでいた事が、 今回の、“ 突発的なソケイヘルニア ” の間接的な原因になっているかも知れない事が分かって来た為に、このサイトを読みに来る、同年代のダンス仲間達が同じ轍を踏まないように希っている事もあって、この序曲部分をココに入れて置くことに致しました。

 人間、70歳を超えたら、楽しいことがあっても無我夢中になるのは、程々にしましょう・・・・・・!!



2012-04-17 (火)   曇   仙了庵(@Tokyo)   気温(最低= 11℃、最高= 16℃)

 午後2時半、旧東京商船大航海科6回生(6期生) 16名が、東海道線清水駅改札口に集合。
 今回のクラス会は、昔懐かしい折戸の商船大学跡を皆で散策しようという企画のクラス会。
 ●→ : 我々が昭和29年に入学した当時の東京商船大学の前身は静岡県清水市折戸にあり、大学の名前も 東京商船大 ではなく、まだ商船大学でした。 この地で我々は2年間をすごした後、全学が東京の深川越中島に引越した為に、大学名は商船大学→東京商船大学と改名。
・・・・・・要するに、我々は 商船大学 に入学し、東京商船大学 を卒業した事になるという訳。
 その思い出の清水市折戸の地を訪れるというのが、今回のファイナル・クラス会の企画である。
  我々の航海科2クラス38名の学生(平成24年現在、76〜78歳)の現況は:今回の出席者 16名、普通欠席者 7名、病欠者 6名、物故者 8名、退学者1名の計38名であるが、我々の2クラス全員が集まるクラス会は、今回のこの折戸の地に集まるクラス会を以て最後とする為にファイナル・クラス会と呼ぶことにしたのである。
   
 
 午後6時に、宴会の始まり・・・・・・
 我々クラスメートが集まると、兎に角、昔の馬鹿ッ話で皆が大爆笑をする!
 話は、本当に次から次へと話題には事欠かない!
 ・・・・・・何しろ、4年半の学生生活は、朝から晩まで一緒に住んでいる全寮制だったから、もうお互いの手の内は全て明かされているという訳。

 毎日の授業中に起きた馬鹿話。
 部活や寮生活での腹を抱えて笑うようなたわいもない、大真面目で素直な話。
 ・・・・・・そうかと思うと、週末の外出日に、上級生が酒に酔った勢いで、町からの帰り道、 2km の道程を『赤と青と白のグルグル回る床屋の看板』を寮まで担いで持ち帰って来た為、町の床屋のオジサンが寮事務所に苦情を言いに来たとかで、担当教官が平謝りに謝ったアト、その上級生が、その担当教官にコッピドク叱られた、という武勇伝や・・・・・各学科の教官たち・・・・・・数学の三木教官(← 哲学者 三木清の実弟)。 物理の『吉ちゃん』こと 清水吉之助 教官。 船舶運用学の菊谷教官。 天文航海学の上坂教官。 信号術の屋代教官。 etc. etc. の思い出話に・・・・・・本当に笑い続けた 3時間でした。
 興津 クア・アンド・ホテル 泊。 
 
 
つい10数年前まで
大型船の船長さんをやっていた・・・・・・
嘗ての海の仲間達
  
    


船乗りの仲間ナンテ言うのは
おおよそ、理科系特有の誤魔化しが苦手な単純な性格の上に
馬鹿正直で明るい連中が揃っているものだから
話していると、兎に角、可笑しい事ばかり

どうです? ↑↑↑↑・・・・・・この単純な大笑い!!
・・・・・・
今では、皆ンな年をトッチャッタけど
その昔は、本当に
素敵なヤングだったんです!!

ホレ、こんな風に・・・・↓↓↓↓



 

    

2012-04-18 (水)   晴   仙了庵(@Tokyo)   気温(最低 = ℃、最高 = ℃)

 午前9時、クア・アンド・ホテル発。 懐かしの折戸の旧校舎跡に向う。
 実際に、かっての折戸に行って見ると、アレから54年の年月が経過している為、当時の面影を残すものは、僅かに正門の内側にあった円形の花壇のみ・・・・・・ 皆で、『ここは本館があった場所だよね〜』、『オイ、ここら辺は教官の官舎があった所じゃなかったっけ?』、『そうだそうだ、吉ちゃんの家はあの辺だったと思うけど・・・・・』などなどと往時の景色を思い出しつつ、今は東海大学のキャンパスとなっている、旧商船大学のキャンパスを皆で散策。
 その後で、これも思い出深い三保の松原の 昔懐かしい 灯台の近辺まで脚を伸ばすと、100年前に建てられたという、小ちゃな三保灯台だけが、往時と変わらぬ姿を留めていた。
    

         
東京商船大学寮歌
    
嗚呼、月明は淡くして       
      北斗の星の冴ゆる時
 燦めく波に塵の世は         
        我が棲む里にあるじとぞ
潮の香浴びし海の児が      
      慨世の意気天を衝く

  
高濤萬浬波越えて         
      往くや南瞑椰子の蔭
船橋凍る海遠く           
          飛沫(しぶき)は白し北氷洋
正義の航路一筋に         
      進まんかなや諸共に


  男児一度海に生き           
       海に死なんと誓いては
聖なる剣抜き放ち         
    誘う迷夢切り放ち
 高き理想に奮い立ち        
    船出の朝誓うかな


北緯45度の偏西風域をポートランドに向けて帆走する
航海訓練所の4本マスト・バーク型帆船 海王丸

今回の昔懐かしい・・・・・・
静岡県清水市折戸1000番地の 旧商船大学の校舎跡を訪れる企画の、
東京商船大学航海科6回生2クラスのファイナル・クラス会に参加して、
本当にヨカッタと沁み々々と思います。

・・・・・・こんな事でもない限り、昔の面影が全く無くなってしまった、
昔懐かしいこの折戸の地を訪れるナンテ事は全く考えられないからである。
そして、この日に再会したかっての素晴らしき海の若人達
そう・・・・・本当に久方振りに会っても(卒業以来55年振りに会った奴もいました)
何んの気兼ねも無く 『お前』 『オレ』 と声を掛けて呼び合い、
至極当然に、お互いの苗字を呼び捨てで呼び合える昔の仲間達・・・・・!!

青春時代にこの様な仲間達と4年半の全寮生活(全校生480名のチッポケな大学でしたけど)
・・・・・・を送ったひと時は、今にして思えば
自分の人生の
・・・・・・黄金の一時代だったと、沁み々々と感慨に耽る事が出来る今日の日!!
こんな素敵な仲間がいるオレって、本当に仕合せなヤツだと思えます!!
        


その後、これも昔懐かしい日本平の山頂付近を歩き回った後
遠くに霞んだ 清水港〜折戸湾を眺め・・・・・


歩き疲れた午後3時頃に、JR 静岡駅で解散!
かっての海の男達は、それこそ・・・・また、日本全国に散って行きました。
そう・・・・・・今日の日以降

今日の仲間達が、こうして再び相まみえる事が無いであろうことを思うと
聊か 淋しい気が致します。


 このアト、僕は新幹線で1時間半をかけて、名古屋まで移動。
 そのあと、今度は 名古屋より、近鉄特急に乗り換えて三重県の松阪市まで移動。
 ・・・・・・十数年前に八ヶ岳山麓のセカンドハウス “ヒュッテ” の近くの観光案内所でアルバイトをしていた当時に知り合い、その後、何回かヒュッテに遊びに来るようななった2人の女性やお子様達と夕食。楽しいひと時を過ごし、この日は松阪泊。


2012-04-19 (木)   曇   仙了庵(@Tokyo)   気温(最低= 11℃、最高= 16℃)

 明けて、4月19日。
 今日も楽しくも忙しい一日。
 午前9時。 ホテルまで迎えに来て下さった。前記の 2人のお嬢様の案内で、何十年ぶりかに、二見浦の夫婦岩を訪れて、辺りを散策。 

 二見浦の境内のオミヤゲ屋さんで、ヒョウキンナ顔付きの 『二見ガエル』 を購入。
 この蛙の置物は、現在、ヒュッテの薪ストーブの脇で、森の小人プティリッツァと一緒に、ストーブと泥棒除けの “寝ずの番” をして呉れています。

 そして、その後、さらに・・・・・・2人のお嬢様達に案内して貰って、かねてからの懸案事項となっていた、鳥羽商船高等専門学校の写真を撮影し・・・・・・


 ・・・・・・返す脚で、これも高校時代の修学旅行以来、60年振りに伊勢神宮(★ 伊勢神宮の境内は写真撮影禁止の為、記念写真はありません!) を3人で参拝。
 伊勢神宮の参拝を終わったアト、お土産ものや、地元の特産物や郷土料理屋さんが軒を連ねる名店街を小1時間散策。
 その間に、3人で楽しく昼食を取る。 

 いつも思うけど楽しい時間はは瞬く間に過ぎてしまう・・・・・・
 午後2時少し前に、お嬢様方に見送られて近鉄特急で伊勢市駅発 〜 午後3時過ぎに近鉄名古屋駅着。

      

  改札近くで待っていて呉れた東京商船大時代の親友の 『廉ちゃん』こと小林廉四郎夫妻と33年振りに会い、近鉄ビル6階の喫茶店に入り、文字通り口角泡を飛ばして3時間半ほどの間、3人でクッチャベリまくった次第。

 ところで・・・・・・
 僕と廉ちゃんは、東船大の中でも少し変わった学生だったようである。
 2人とも、船乗り志望なのに・・・・・・山が大好きで一緒に槍ヶ岳に登ったり、学校の行事で連休が続いた六月の初夏、2人で田貫湖近辺をホッツキ歩いた思い出は本当に懐かしい。
 そして迎えた、1年生の前期の試験で、彼は物理を欠点(60点未満)で落として再試験を受けたが、これも再度欠点。
 てな訳で迎えた、最後のチャンスの再々試験も見事に欠点。

 ドウナル事かと心配していたら、 物理の教授の 『吉ッチャン』 から、レポートを提出を命じられたとかで、数学と物理にだけは自信のあった友人の一人が僕が、
『よし、オレがやってやる!!
と代書を引き受けて、提出期限スレスレに間に合って、やっとの事で物理はパス!!
 と思って喜んでいたら・・・・・・今度は大のクラシックファンで、勉強ソッチ退けで、ピアノの練習に夢中になっていた廉ちゃんが、突然
『一年落第して、ピアノを練習したい・・・・・・!!』
と言って、授業に出席しなくなったので、この僕は大慌て・・・・・・
『・・・・・・それじゃ、俺もヴァイオリンを・・・・・・!!』
と思いかけたが、もともとが優柔不断な僕のこと・・・・・・落第することもなく2年生に進級してしまったものだから、学年も別れ別れになってしまったという訳!!

 そんな2人だから、33年振りに会っても、話のタネは尽きることなく、おおよそ2時間半ほど、無我夢中になって、初子夫人共々、3時間半ほどの間、夢中になって話しっ放し!! 話し疲れたところで、東京に帰ることを思い出し、喫茶店を出て、新幹線の切符を買い、名古屋駅の新幹線の改札口で廉ちゃん夫妻にサヨナラを言った。

 そう・・・・・・今度、この2人に会うのはいつの日になることだろうか?

 ・・・・・・そう思うと、何か物凄く淋しい気がする。

 19時24分。
 僕は新幹線のホームに上がる階段を登りはじめ、廉ちゃん夫妻は新幹線の改札口から知多半島の自宅に向かった。


 新幹線が走り出しても、暫くの間、僕の心の中はトテモ淋しかった・・・・・・!!
 でも、窓の外を後へ後へと流れていく、町の明かりと黒い景色をボンヤリと眺めているうちに、いつの間にか眠ってしまい、気が付くと新幹線は品川の辺りを走っていた。


 東京に舞い戻リ、午後10時半過ぎに中野駅南口を出ると、近くのガストで遅い夕食をとってから、真夜中近くになって、やっとの事でわが家に帰宅。

 家に戻ると、家内への挨拶もソコソコに、2階の自室に入り、着物を普段着に着換えると、すぐに温かい風呂に入り、風呂から上がると、大急ぎでフトンに潜り込むと、クタクタに疲れていたせいか、寝床の中に入るなり、アッと言う間にバタンキュ〜〜!!

 兎に角、滅茶苦茶に歩き回った ここ3日間でアリンシタ・・・・・・!!

 

2012-04-20 (金)   曇   仙了庵(@Tokyo)   気温(最低= 11℃、最高= 16℃)

 昨日までの3日間の疲れが溜まっていた所為だろうか、午前10時過ぎに起床。
 遅まきの朝食と言うよりも、ブランチ (Breakfast lunch) を済ますと、書き掛けの“空”の原稿に手を加える。

 忙しい一日。
 今日は金曜なので、いつもならば渋谷区の幡ヶ谷区民会館のフリー・ダンスパーティに出掛けるのだが、過去3日間の留守の間に溜まった書類を整理する為、今日は幡ヶ谷行きを中止して、外出をしない事にする。
 ただ、目下、夢中になっているダンスの練習だけは続けたいので、、片付けものの合間を縫って、今迄に習って来たワルツのアマルがメーションのうち、何回か注意を受けているスピンターンやその他の苦手なステップの 自習を、自宅でする事にした。

 いつもの事だけど、社交ダンスの姿勢というのは、本当に難しい。
 今日の、このワルツの一連のステップも、上手な人には そんなに難しいステップではないのだろうが、ダンス歴わずか1年3ヶ月・・・・・・現年齢76歳の僕にとっては、過去3日間の足腰の疲れに加えて、体の回転による重心の移動が定まりにくい所為か、頭が何となくフラフラして中々 ポーズが決まらない。
『アアデモナイ。コウデモナイ。』
と、先輩達の注意を思い出して試行錯誤しているウチに、ついつい夢中になり、30〜40分練習をした所で、リヴィング・ルームのツルツルした床の上で、左脚を滑らせ、両脚の太腿の付け根を大きく開いてしまった。
 その瞬間、下腹部にチョットした違和感を感じはしたものの、両足を大きく開いたこと自体は今迄に2〜3回は経験していた上、今回の違和感も間もなく回復したので、その後も小1時間ほど自習を続け、或る程度、満足できるようになった所で、今日の練習を終える事にした。

 夕方になると、早目の夕食を済ませたあと、午後7時に、中野区の昭和区民会館で開かれた、民主党の 長妻あきら 衆院議員の後援会に出席して、9時過ぎに帰宅。
 今日も、メッチャ忙しい一日でゴザンシタ・・・・・・



 
・・・・・・兎に角、慌しかった今日の一日。 
 夜、ホッとした気持ちで風呂に入り、風呂から上がってバスタオルで体を拭いていたら、ポコチンの右上のあたりがポコンと盛り上がっているのに気がついた。
『あれ、ナンダ〜 こりゃァ?』
小声で、こう呟くと 僕は首を傾げた。。
 ・・・・・・そして・・・・・・その後で、もう一度その膨らんでいる所を触ってみた。

 そう・・・・おおよその感じでは、そのデッパリの部位は・・・・・・盲腸とほぼ同じ位の位置だろうか?・・・・・・皮膚の内側に、大福餅の 1.5倍くらいの大きさの大福が入っているような感じがするのだ。
 その部分を手のひらで押してみると、その大福餅はニュルニュルと体の奥の方に入って行くではないか!!!!。
 そして、アッと言う間に元通りに戻ってしまった。
『アレ、治っちゃったぜ・・・・・・ OK OK !!』
 僕は、小声で喜んだ!!

 でも、驚いたことに5分ほどすると、その大福餅は、又いつの間にか再発してしまっているのである。
『アレ、また出て来たぜ〜〜?? ナンジャァ、コリャ〜〜??』
 と言いつつ、その大福餅を掌で押すと、直ぐに元通りに治ってしまうのだ!
 が、放って置くと、その大福餅は直ぐにピョコンと飛び出して来るのである。
 そんな事を 何回か繰り返している中に、僕は・・・・・・もしかすると、これは、脱腸といわれているものではないのかと考えてみた。
 しかし、すぐに、僕は心の中で、こう言って脱腸説を否定した。
『違う!違うぜ!・・・・だって、まだ、オレが小ちゃかった戦前の大昔、近所の子供達が何人か脱腸になったのを、憶えているけど、脱腸になったのは皆、ガキンチョ達だけだったぜ・・・・・・』。


 という訳で、 ワケの分らなかった僕は、家内を呼んで そのヘンテコリンなものを、見て貰ったが、家内も、こんなモノは初めて目にするらしい・・・・・・!!

 暫くの間、2人で アアデモナイ コウデモナイ と考えていたが・・・・・・自分達だけでいつ迄も考えていても仕様がない。
 こんな時には、兎に角いちど、お医者さんに見てもらうのが一番!
 と2人で話し合い、あしたにでも、何処かの病院に行ってみる事にした。

 でも・・・・・何処の病院に??
 と、頭を傾げたら、次の瞬間・・・・僕は
『それだったら、東京警察病院に行ってみればイイジャン・・・・・』
と、心の中で呟いていた。


★★ その理由はこうである。

 実は、私という人間は・・・・昔から、喉の粘膜と胃の粘膜が弱いらしいのである。
 だから、冬が来て、空気が乾燥し出すと、当然の事ながら、風邪をひいても、薬を飲まなくても済むような方法を探そうとする様になる。
 出来ることなら、胃に負担を与える薬は、なるべく服用したくないからである。
 
 そんな事をいつも考えていた所為だろうか、いつの頃からだったろうか・・・・・・いつの間にか、風邪をひいた時には、内科の先生に診て貰うのではなく、耳鼻科の先生の所に出掛けるようになって仕舞っていたのである。
 と、いうのは、風邪をひいて、喉と鼻に違和感を覚えた時、耳鼻科の先生の所に出掛け、鼻と喉の両方に吸入をして貰うと( 軽度の場合は1回だけ。中程度の時は週に2〜3回。重症のばあいは4〜5日連続。この場合の服用薬は、殆どの場合、軽い抗生剤か炎症を抑える薬だけである)、比較的 短時間のウチに治ってしまうからでアリンス。

 その様な事が慣例となっていた数年前の或る日の午後こと・・・・マタマタ、喉と鼻の奥の方がヒリヒリと痛み始めたのである。
 当然の事ながら、私は、スグにいつもの耳鼻科医院の予約をとろうとして電話をかけたところ、金曜日は休診であることに気がついたのである。

 という訳で、もう一軒、別の耳鼻科医院に電話を入れてみたところ、そこの耳鼻科さんも休診ダッタッチュ〜ワケ!!
 『アチャ〜、参ったサン、参ったサン・・・・ンジャバ、どうしたらヨカッペエ・・・・・?』
と困り果てた時、私は フト、私が住んでいる所から数分のJR駅の反対側に、東京警察病院という大きな病院が、数年前に、オープンした事を思い出したのである。

 その瞬間
『よし、それじゃ〜、あの病院に行ってみようか?』
と考えたものの、次の瞬間
『エエ? オレがァ〜? だって、オレ警察官でも警察のOBでもないぜ〜! 行って診て貰えなかったら、損しちゃうジャン・・・・・!』
と、思ったものの、以前、よく出掛ける喫茶店の Veloce で、近くの席でコーヒーを飲んでいた女性グループの一人が、“北口の東京警察病院って、普通の人でも行けるのよ・・・・・!” 
と話していた事をフト思い出し、(大きな病院だったら、耳鼻科もあるかも知れない・・・・・兎に角、行くだけは 行ってみようか・・・・・・)という事で、その東京警察病院に出掛けてみたのである。

       その結果は、実にラッキー!!
 予約ナシの初診だった為、時間的には随分待たされはしたものの、無事、耳鼻科の先生に診て頂くことが出来、その際に、上に書き記した今迄の慣例を話した後で、
『・・・・という訳で、今日も喉と鼻の奥が痛くなったので、いつもの耳鼻科医院に連絡をとったのですが、今日は休診日でした。・・・・という事で、コチラの病院に伺ったのですが、喉と鼻の吸入をして頂けると、大変有難いのですが・・・・・』
等々、今から考えると大変に失礼なお願いをしたにも拘わらず、その先生が親切に鼻と耳の両方に吸入をして下さった為、兎にも角にも、風邪ひきの事無きを得た経験があった事を思い出したからである。

 多分その時、僕を受け入れて下さった病院のスタッフの皆様の印象が、とても良かった所為だと思うけど
 ・・・・僕は
『ヨシ、ンジャア〜、このポコチンの右上の腫れも、あしたは土曜日だけど、先回と同じ様に診て貰えるかも知れないから、あの東京警察病院にあした出掛けて行ってみよう!』
 という訳で、今回のポコチンの右上の腫れの件も、あしたの土曜日の朝に、この東京警察病院の外来に出掛けてみることにしたのである。


2012-04-21 (土)   晴   仙了庵(@Tokyo)   気温(最低= 13℃、最高= 20℃)

 午前10時過ぎに、愛用の MTB (マウンテンバイク) で東京警察病院に出掛ける。
 持ち物は、健康保険証、診察券(前回の耳鼻科受診の際に発行されたモノ)。
 それに、待ち時間の間に読む化学の本とフィンランド語の会話の本である。
 ところで・・・・・・
 現在、中野駅周辺は、北口も南口も、公共施設の 目を瞠るような大幅改装改築を中野区が行ないつつある。

 その為、駅と東京警察病院の中間に、 美しい 『中野四季の森』 公園がオープンされ、病院は街中(まちなか)の素晴らしい所に位置する事になってしまった。 しかも、駅から歩いて、7〜8分の近さである。

 とは言っても・・・・・・面倒臭がり屋の僕は、東京警察病院に出掛かるときは、いつも愛用の MTB に乗って行く。


 南口の住宅街のわが家を出て、南口五叉路から中野通りに入り、駅のガードをくぐり抜け、上述の 『四季の森公園』 の脇を走り抜けると・・・・もう、病院は目と鼻の先である。


 閑話休題。
 今日、何ヶ月振りかに病院に来てみると、今朝は駐輪場脇の花壇に咲いているピンク色のサツキの花が、目を引いた。


 ・・・・・・この駐輪場に自転車を置き、病院の玄関に向かってユックリと歩き始めた僕は・・・・・・ここで、フト、思い出した事がある。
 上述の通り、現在、中野区は目を瞠るような中野駅周辺の一大改装を行なっている最中であるが、その素晴らしさに刺激されて、僕は2〜3年前から何回か中野区役所を訪問して、中野駅周辺の将来の改装計画を聞きに行った事がある。
 その折々に伺った、区役所の担当者の話によると、将来の計画は数年くらい先きまでの予定は出来ていて、将来の計画の一つに、中野駅の高円寺よりの先端辺りに、南口の桃園商店街の大通りと、北口の電電ビル付近の通りを結ぶ陸橋を作る計画があるという事であった。 
(その折りに戴いて来た A3版 数ページの説明用印刷物は、今でも我が家に保存されています・・・・) もしその話が本当に実施され、中野駅の高円寺よりの先端から、その陸橋に出られる中野駅の西口改札口みたいなものが出来たら、この警察病院に電車を利用して通院する患者さん方にとっては、今迄よりも遥かに便利になる、と同時に、桃園商店街も活気付くと思うのだが、如何なものであろうか・・・・?
  
 さて、話が横路にずれてしまったけど、この警察病院に来る度にいつも感ずることがある。
 それは、この病院の敷地内を歩いていても、病院の中を歩いているという風に余り感じないということである。
 ・・・・・・言うなれば、病院の中というよりは、何かユッタリとした公園か散歩道を歩いているという風に、いつも僕は感じてしまうのである。
 それは、多分、病院の中の雰囲気全体が、その様な雰囲気を持っている所為ではないかと思うけど・・・・そう・・・・・本当に病院の中にいるという風には余り感じないのである。

 ・・・・・・例えば、院内の受付フロン付近トにも、こんな風に大きな植物が在ったりして・・・・・
  
 
  
 なんか、今までに経験したことの無い、不思議な感じの病院である。
 こんな雰囲気のせいだろうか?
 ・・・・・・もしかしたら、手術になっちゃうんじゃないかな・・・・・と緊張しつつ広々とした玄関から院内に入った今朝の僕だったけど、とにかく、この雰囲気に触れてホッと一息ついたのを憶えている。
 でも、一体、僕は何処に行ったらイインダロウ?
 ・・・・フト、立ち止まって僕は考えた・・・・
 脱腸だとすると、腸だから 消化器科 かな?
 ポコチンのすぐ傍だから泌尿器科なァ?
 手術をするんだったら外科かなァ?
 ・・・・・・そんな事を考えてはみたが、どうも分らない。
 (エエイ、面倒臭い! それならば、案内所に行って訊くのが、一番手っ取り早いや・・・・)と思って、正面案内所に行って、自分の情況を説明し出したが、話しているうちに、その下半身の膨らんでいる箇所を説明する直前になって、チョット言葉に詰まってしまった。 そもそも、“ポコチンの右上”という言葉の中の、ポコチンという言葉を正式に口にした事のない僕である。 エ〜〜ッ、男性器? 陰茎? ペニス? ピーナス(pennis の米語発音)? など、など・・・・・

 ・・・・でも、僕が最終的に選んだ単語は、仲間内でいつも使っている ポコチンであった。

 そこで、僕は、正面受付の年配の男性にオズオズと説明した。
 『昨日の夜、風呂に入ったあと、体を拭く時にフト、気が付いたんです。 エ〜〜ト、ポコチンの右上の盲腸の辺りがマンジュウみたいに膨らんでたんです・・・・ それで、ビックリして今朝病院に来たんです・・・・ エ〜〜ト、私が行く科は何処でしょうか・・・・?
 瞬間、男性の顔は心なしかニッと微かに微笑んだような気がしたけど、帰って来た言葉は、事務的だけど暖かい言葉だった。
『・・・・・・それでは、この先の外科の受付に行って訊いてみてください・・・・』
と言って、同じ階の外科の受付のある場所を教えて呉れました。
 その言葉に従って外科の受付に行くと、『ハイ』と言ってカウンター越に目で迎えてくれた白衣の女性に僕は声を掛けた。
『エ〜ト
昨日の夜、風呂に入ったあと体を拭く時になって、急に気が付いたんですが、ポコチンの右上の盲腸の辺りがマンジュウみたいに膨らんでたんです・・・・ それで、ビックリしてコチラに来たんですが・・・・』
 一度使ってしまえば、用語の選択は、全くスムースである。ここでは、僕はスムースに自分の来院の意を告げる事が出来た。
 一方、僕が用語を用いた瞬間、用語の意味を考えようとした表情が、チラとその女性の若く美しい顔に走ったが、一瞬の後に、以前の表情に戻ると、その女性は半ば事務的に、半ばいたわる様に、優しく僕に言った。
『分りました。それでは、ここに紙と鉛筆がありますので、質問に沿って答をお書きになって下さい。それから、体温を計って下さい。』
と言って、筆記用具と体温計を私に渡した。
 その記入用紙の “どうしましたか?” 欄に僕は
昨日の夜、風呂に入ったあと体を拭く時に、ポコチンの右上の盲腸の辺りが膨らんでいた為。
と記入し、その他の “今迄にかかった大きな病気は?”、“薬のアレルギーはありますか?” などの欄に必要事項を記入し、36.2度(だったと思う)と表示されている体温計を返却すると、その女性は、テキパキと事後の処理を済ましたあと、
『この3桁がソチラの表示板に表示されたら、右手の通路を入って A9 の診察室の前でお待ち下さい。』
と言って、3桁の数字と A9 と朱書きしたフォルダーに入った紙を僕に渡した。
 その紙を受け取ると、僕はその受付の前に並べられた椅子の一つに坐ると受付カウンターの右手の壁にしつらえた掲示板を見上げた。 そこには 診察室の番号と そこで待っている患者さんの番号の一覧が表示されており、時おりピンポーンと音がすると、次の順番の患者さんと診察室名が大きく表示され、その番号の患者さんが椅子から立ち上がって自分の診察室に向うのに気がつくと、僕は自分が持って来た アシモフの化学の本を夢中になって読み始めた。 ・・・・このシステムは本当に素晴らしい! 何故かと言うと、どんなに夢中になって読書に没頭していても、そのピンポーンという音は耳の遠い私にも十分に聞こえるので、今日は予約ナシのため待ち時間が長くなる (★ 予約の入っている患者さんの待ち時間は10〜30分位ではないかと思う・・・・)僕にも、殆ど苦にならなかったからである。
 そう、それから 1時間か1時間半ほど経った時、やっと、僕のピンポーンが鳴ったので、僕は A9 の診察室の前に移動したが、その入口のドアーの上にも小さな番号表示板があり、現在、順番を待っている2人の患者さんの番号が表示されていた。 その2人目の患者さんの番号は、勿論、僕の番号である。
 そこでの待ち時間は20分前後だったと思うけど、ふたたび、ピンという小さな音がして、その小さな掲示板に “下記の番号の方は中にお入り下さい” という表示の下に僕の番号が点滅したので、僕はチョッピリ恐る恐るドアを開けて中に入った。 すると、イスに坐った若々しい男の先生がニコヤカな目で僕を見詰め、
『・・・・さあ、椅子にお掛け下さい!』
といって、目の前のイスの方に手を差し延べた。
 その声に誘われる儘に、僕は
『失礼します!』

と言ってイスに座り、改めてその先生を間近に見たトタン、僕は先生の若さに改めて驚いた次第である。
 ・・・・と言うのは、この若々しい先生の年齢は、どう見ても30歳代・・・・見方によっては20歳代後半にも見えたからである。
 そして、その瞬間・・・・・・物凄く正直な気持ちで言うと・・・・・・内心
『オイオイ、大丈夫かネ・・・・・・こんなに若い先生で・・・・・・?』
と首を傾げたことも事実である。
 でも、そんな事はどうでもイイ・・・・
 先生の言われた儘、僕がイスに座り、ひと呼吸を置くと、先生は机の上にあった一枚の紙を手に取り、その紙を見ながら僕に声をかけた。
 もしかすると、その紙は僕が先刻、記入した質問表だったのかも知れない。
『どうしたんですか・・・・?』

『はい、実は昨日の午後、自分の家で社交ダンスのステップの練習をを 1〜2時間やった後、夕方、シャワーを浴びたんですけど・・・・・・シャワーから上がって来て、体を拭いていたら、前の日迄は何ともなかったのに、昨日は突然、ポコチンの右上の盲腸のあたりって言うんですか・・・・その辺りの皮膚の下に、大福餅が入っているように下っ腹が膨らんでいたもんですから・・・・ビックリして、コチラの病院にやって来たんです。』

 ・・・・こんな 質問の 2ッ 3ッ のヤリトリを交わす間に、僕は先生の目の奥に、少年のような屈託の無い明るさと、打てば響くような俊敏さを見て取ると、いつの間にか、(コイツは、出来るぞッ!!)という確信に近いものを自分自身で感じていたのが、とても印象的であった。

 その後、更に 2ッ 3ッ 質問をすると、先生は反対側の壁際あったベッドの方を手で指し示しながら
『では、その場所を見せて下さい・・・・』
と言われたので、僕は、ジーンズベルトをカチャカチャと外し、ズボンのジッパーを下げるとその硬いベッドの上に横になり、両手でズボンとパンツをポコチンの下まで下げると、その膨らんでいるところを右手の人差し指で触りながら
『ハイ、先生 ココです!』
と言った。 すると 先生は・・・・
『あ、ココね・・・・?!』
と言いながら、その膨らんだ部分を、指とか掌とかを使って、暫くの間、色々なタッチで触りながら調べられたあと、部屋の奥の水道(だったろうか?)で、手を洗って来られたのち、ご自分のイスに戻られると、僕の目を静に見詰めながら・・・・
『ソケイヘルニアです。 コレは・・・・・・』
と、おっしゃられた。その単語を聞いた瞬間、僕は心の中で呟いた。
(ヘルニアって、どこかで聞いたぞ〜・・・・ホレ、脊髄の軟骨が潰れたりするのじゃなかったカナ・・・・んじゃあ、その前に付いているソケイって何だ?・・・・etc. etc. と考えたあと・・・・分らないので・・・・)先生に伺ってみた。
『先生、何ですか? その ソケイヘルニア って・・・・?』
『ソケイヘルニアって言うのは・・・・分かり易く言うと・・・・脱腸の事です!!!!』
『エ〜ッ、先生・・・・アノ〜・・・・脱腸っていうのは、ガキンチョしかならないんじゃないンですか・・・・? 私みたいな 76歳のオヤジでもなるんですか〜??』
『なりますよ・・・・勿論! 特に立ち続けの仕事をしている人とかに多いですネ・・・・』
と言われた。

(その言葉を聞いたトタン、僕は過去3日間の間に、自分の元気と楽しさ追及に任せてとった 毎日 1万数前歩の強行軍と4日目のダンスの自主練習・・・・即ち、(自宅 → 東京駅 → 清水駅 → 折戸 → 三保灯台 → 日本平 → 静岡駅 → 名古屋駅 → 松坂 → 二見浦 → 鳥羽商船撮影 → 伊勢神宮 → 名店街散策 → 名古屋駅 → 市内散策 → 東京駅 → 自宅・・・・その疲労の後の、昨日の自宅でのダンスの自主練習)・・・・が、不知不識のうちに、立ち仕事にも勝るとも劣らないような負担を、自分の足腰に与えて事を知って・・・・・・ナールホドと合点をした・・・・・・!!)

 そんな事を考えつつ、目の前のニコヤカな顔つきの若い先生の顔を感心の面持ちで眺めていると・・・・
 先生は、僕が、僕と同年配の連中に比べると、何かが少し変わっていると気付かれたんだろうか・・・・・
 ・・・・ふと、思い出したように
『八岳(やたけ)さんは、若いですネ〜?』
と言われた。
『ハ? 僕がですか・・・・・?』
 慌てて、僕は返事をした。
『ええ、そうです。 それは・・・・76歳という年齢にしては・・・・という意味ですけど・・・・確かに若いですネ! 好奇心が旺盛なのかなァ・・・・』
『成る程。 でも・・・・それでしたら、アチコチで、若い・・・・若い・・・・って、よく言われますけど・・・・』
『そうだと思いますよ・・・・』
と言われたあと、前記の1枚の紙に目を通しながら
『それでは、次にいろいろと伺いますけど・・・・質問に答えて下さい!!』
と言われたあと、先生はその質問表 (← だと思うけれど!!) を見ながら・・・・僕の過去の病歴・・・・薬のアレルギーのこと・・・・それから、いつ、この脱腸が発症したか?・・・・・・etc. etc. 等々について、幾つもの質問をし、僕が先生の質問に答えると同時に、先生はデスクの上に載っていたノート型パソコンのキーボードをカチャカチャカチャと叩いて、僕に関するデータを、先生のパソに入力されて行ったが、その先生のインプット・スピードの・・・・もう、メ〜ッチャ早いこと・・・・・!!
 少し距離が離れているので、何が書かれているのかわからないど、モニターを見ていると、先生が両手の指10本を使ってカチャカチャとキーをたたくと、モニター画面の左端から右に向かって、黒い線が ツツツツツツ〜〜ッと延びて行くのである。 勿論、その黒い線というのは先生が打ち込んだ、僕のデータである。
 (ウヒャ〜〜〜!)
 気が付くと、僕は思わず賛嘆の声を上げてしまっていた。
『ウワ〜〜・・・・先生のキーボードタッチ・・・・物凄い早さですね!!』
『はァ?』
『いや・・・・先生の キーイン のスピードが物凄いとビックリしたんです!』
 すると、先生は、ごく当たり前のような調子で言われた。
『でも、これは私の仕事ですから・・・・』
『いや、それにしても見事ですよ。 私もパソコンに触りますが、先生のスピードには、とても敵いませんね? って言うのは、先生のスピートは僕のスピードの 1.5倍から2倍くらいの速さですもん・・・・!』
『・・・・って言う事は、八岳さんも指を見ないで、打ち込んでいる・・・・という事ですよね?』
( ↑ この、頭の回転の速さ!・・・・とにかく、会話のテンポが早いのが、実に素晴らしくて、面白い!!
『ええ、そうです。 ブラインド・タッチです。』
と言い掛けて、慌てて言葉を飲み込んだ。
 ・・・・って言うのは、最近の世相を反映して、ブラインド・タッチ という言葉は、禁句になっている・・・・とか・・・・という事を不意に思い出したからである。 そこで、僕は、言葉少なに (ハイ、そうです。) とだけ答え、言葉を継いで言った。
『ところで、先生、私はこれから、どうなるんです? ・・・・こうやって、脱腸の膨らんだ所を押さえると、ニュルニュルとへこんじゃうもんですから・・・・』
『・・・・ええ、その事を、これから話そうと思っていた所なんですが、出来れば、早目に手術をなさった方がいいんじゃないかと思うンですけど・・・・』
『って言う事は、このままにして置く事も出来るんですか?』
『ええ・・・・でも、時間が経つにつれて、手で押さえても凹まなくなった時が問題なんです。 っていうのは、手で押さえても凹まなくなると、患部が猛烈に痛むんです。 そうなった時は、真夜中でも何時でも、大至急、病院に来て下さい。 ・・・・って言うのは・・・・それを、その儘にしておくと、場合によっては、その部分が壊疽(えそ)を起こすことがあるんです。
 その言葉を聞いたトタン、僕は直ぐに言った。
『そうですか? それなら、先生、手術をして下さい。 その方が、コレカラ、悩まなくてイイじゃないですか?』
 私は、友人達に時おり笑われるのだが、自分の体を、電気製品か何かの様に考えているみたいだと、時折、友人達に言われるからである。
 体の何処かの調子がオカシクなれば修理をする。
 それが、薬を摂取したり、手術をしたりすることだと僕は考えているようである。
 歯や骨など、一部の部品の交換は以前より行なわれていたが、医学の進歩と共に、臓器・・・・各種の臓器も、最近は、電気製品の部品の様に、部品交換も出来るようになって来ているらしい。
 ・・・・そんな事の為なのだろうか・・・・手術でも何でも必要で合理性のあるものは、ドンドンと済ませちゃったほうがイイと思っている。
 この日の僕はまさに、その典型だったような気がする。
 すると、先生は
『それでは、いつ、八岳さんの手術が出来るか、直ぐに調べてみます。』
と言ったアト・・・・
『あと、一つ、大切な事を決めて置きたいのですが、手術の際の麻酔は、全身麻酔にしますか、それとも部分麻酔になさいますか・・・・如何でしょう?』
と、淡々とした調子で、仰 (おっしゃ) られた

 先生のこの言葉を聞いたトタン・・・・(えっ、全身麻酔って? ・・・・ホン気?! ?)と驚き
『全身麻酔ですか?』
と、鸚鵡返しに先生の言葉を繰り返した。
 ココで、僕がこんなに驚いた理由を、簡単に説明して置こう・・・・
 私の年齢は現在 76歳だが、この歳になるまで、私は 5回の手術を受けている。
 ・・・・が、その時々の年号と年齢と、その時の 感想は次の通りである!
● (部分麻酔)

 扁桃腺除去 : 昭和28年、 17歳 (高校2年生)
於 : 自宅近所の耳鼻科個人医院。
 大変に苦しい思いをした。 イスに腰掛け、口を開き、喉の扁桃腺の周囲に麻酔の注射をし、意識のある儘、目隠しのガーゼを巻き、先生が器具を使って、扁桃腺を切り取るのを待っていたのであるが、麻酔をしたと言えども、結構、痛みは感じられ、本当に苦しかったのを憶えている。
●● ●●● (部分麻酔)

 痔 (脱肛) 除去 : ●●  昭和41年、 30歳
            : ●●● 昭和48年、 37歳
於 : 異なる都内の総合病院 (A) および外科病院 (B)
 手術用ベッドに横たわり、両足のふくらはぎを架台に載せて両足を開く、先生は僕の肛門を眼前に見据えてイスに坐って、手術をされていたのだと思う。(← 先生の位置は、私からは見えなかったので、多分そうだろうという想像である。
 全く痛さは感じなかったが、皮膚を引っ張ったりするのは感じられる。又、担当者どうしの会話は眠くなる様な意識の中で聞き取れていた。

●●●● (全身麻酔)

 胆嚢除去 : 昭和63年、 52歳
於 : 都内総合病院 (C)
 全身麻酔の為、全く痛さは感じられなかったが、麻酔の掛け始めに、『1,2,3、・・・・・』と声に出して数を数えつつ、ベッドの上に横たわったまま、眠りに落ちて行く時点 および 麻酔からだんだんと覚めるて来る暫くの間は、周囲の担当者同士の会話が段々と大きくなって聞こえて来るのが、物凄く不自然で気持 悪かった。。
 この4回の手術の中の、最後の総合病院 (C) に於ける 全身麻酔では・・・・寝入りばな と 目覚め時の、感じが・・・・なんとも言えず不自然で気持ち悪かった為・・・・前記の通り、少なからず ビビッて、
『全身麻酔ですか?』
と、鸚鵡返しに先生の言葉を繰り返した次第である。

 ・・・・・・そのビビリが先生にも伝わったのだろうか・・・・、先生はすぐに
『・・・・全身麻酔だと、手術を受けるのがとても “楽” (← 確か先生は、 “楽” : ラク と、言われたと思うけれど、もしかすると・・・・別の言葉場だったかも知れない!)なんです! そう、手術は1時間ほどで終わりますけど、手術を受けるホンの少し前に寝入り、 手術が終ってから15分後に目が覚めるンです。』
 この時、先生がキッパリ と “15分後” と言ったのを聞いた瞬間、僕は、今回の手術では 前記の  ●●●● 胆嚢除去手術の際の、寝入りばなと目覚め時の、“不自然さと気持ちの悪さ” は十中八九無いに違いない!! ・・・・と確信に近いモノを感じたので、反射的に・・・・
『・・・・そうですか、それでは 全身麻酔 に して下さい・・・・!』
と返事をしていた。 
 ・・・・この後、先刻、先生が関係各所に連絡を取ってくださっていた ●事前検査 ●入院 ●手術 の予定は、それぞれ 6/12, 6/17, 6/18 に決まり、本日の診察は全て終了した。
 最後になってしまったけれど、今日の日誌がこんなに長くなってしまったのは、ドクター Y. の人柄が素敵で楽しかった所為ではかったからではないかと思うが・・・・今回の手術は、このサイトを立ち上げてから初めての大きな手術だった為に、今後も出来るだけ、僕が感じたこと、考えたことを中心に、書き続けて参りたいと考えています。
                               チョン !
PS.  (Post script : 追伸)

 夜、寝る前に考えた。
 今回の突然の脱調騒ぎはなぜ起きたんだろうかって・・・・・・
 その結論は、医者でもない僕には確定的なことは全く言えないけど、今日の日誌中にも一部書いて置いたが、多分、こうではないか・・・・と言えることは・・・・・・ ⇒ ⇒ ⇒ 17,18,19日の3っ日間、毎日  一万数千歩づつ歩いて、かなり疲れている所に、昨日午後のダンスの自習で、足を滑らせて、大きく太腿を開いてしまった事が原因・・・・・・となっているのではないか?!・・・・ということである。
 ・・・・・・つまり・・・・・・いつもの僕だったら、この『足滑らせ』は、別段どうって事は全く無いのであるが、その前の3日間の疲れがあった時だったので、今回の脱腸騒ぎが起きたのでは無かろうか?!・・・・・・という事である。


 そう、思ったら、ナンカ気が楽になったので、今夜もよく眠れそうでアリンス!!!!

                                ・・・・・・では、世界の皆様・・・・・・オヤスミナサイ!!
    

2012-04-22 (日)   曇のち雨   仙了庵(@Tokyo)   気温(最低= 9℃、最高= 13℃)

 肌寒い一日。 昨日の東京警察病院の外科の先生の話では、重いものを持ち上げたり、激しい運動をしたり しないように気を付ければ、僕の趣味の 社交ダンスとか卓球くらいの運動だったら、しても構わないという話だったけれど、それでも、今日は 何んとなく気になって、終日家にいて、大人しく 書き掛けの本の原稿書きに集中した。 ヨシヨシ、ヨシヨシ・・・・

 ロバート・ブラウニングではないけれど・・・・・・

                    時は春。

                  朝(あした)は7時。

                  カタツムリ枝に這い。

                  揚げ雲雀(ひばり)名乗り出で。

                  すべて世は事も無し。


 ・・・・・・の心境である。


 次回の病院行きは、ゴールデンウィーク明けの 5月12日。
 今週の木曜午後の社交ダンス・サークルには出かけてみようかと思う。

2012-04-26 (木)   曇   仙了庵(@Tokyo)   気温(最低= 18℃、最高= 20℃)

 社交ダンス・サークル“サファイア”に出掛ける。
 練習が始まる迄は、ヘルニアのことを気にしていたが、練習が始まると、アッと言う間にヘルニアの事は忘れてしまい2時間ほどの間、もう夢中になって動き回っていた。
 それでも、ポコチンの右上の患部の部分は、膨らんではいるものの、痛さは無く快適其の儘・・・・!
 有難い、と思う。

2012-05-01 (月)   曇   仙了庵(@Tokyo)   気温(最低= 21℃、最高= 23℃)

 例年だと、ゴールデンウィークは一家でヒュッテに出掛けているのだが、今年は、僕の鼠径ヘルニア騒ぎで、東京に足止めをされた儘である。
 ・・・・・と言うのは・・・・・東京警察病院の外科の Y先生からは、社交ダンスとか卓球くらいならOKと言われているのだが、この鼠径ヘルニア・・・・・膨らんでいる患部をソッと掌で押して奥に凹む間は問題ないが、掌で押しても凹まなくなった時が問題で・・・・凹まなくなると、十中八九猛烈に痛み出し、場合によっては壊疽を起こすことがあるという事なので・・・・当然の事ながら八ヶ岳山麓のヒュッテに出かける訳にはいかないからである。

 という事で、昼過ぎに、前記、木曜日の サファイアとは別の、中野区の堀江老人会館のダンス・サークルに出掛けたけど、 ダンス仲間の皆さんには、鼠径ヘルニアのことは黙っている事にいた。 僕が、鼠径ヘルニアに罹り、手術をする予定だというと、皆さんがワイワイ心配をし出すからである。


2012-05-05 (日)   晴   仙了庵(@Tokyo)   気温(最低= 15℃、最高= 27℃)

 午後、息子と2人でサイクリングに出掛けた。
 僕の愛車のチャリンコは、21段 (← 3段 X 7段) 切り換えの MTB (マウンテンバイク) であるが、和田掘公園の 林の中のデコボコ道を、手術前の身で、スピードを出して走れないので、息子と2人でユックリと走ってきたが、公園の中の緑が心地良く、心の中まで爽やかにして呉れた。
 こんな事を考えていると、オレって、何て恵まれたオトコなんだろうか・・・・・とフト、思ってしまう!!


2012-05-12 (土)   晴   仙了庵(@Tokyo)   気温(最低= 13℃、最高= 21℃)

 東京警察病院で、全身麻酔に関する事前検査を受けて来た。
 09:30 に2階の検査室で、呼吸機能の検査を受けたあと、10時に 3階の麻酔科で、麻酔に関する説明と肺活量を含む診察があった。 肺活量の検査なんていうのは本当に久方振り。 僕が生まれて初めて肺活量の検査を受けたのは、旧商船大学航海科の入学試験の際の事。 当時の合格基準では 3,500cc 以上だったが、18歳の僕の肺活量は 4,300cc。 それが、76歳の今回の検査では 4,700cc・・・・・・
 まあ、そんな事は別として・・・・今更・・・・何故、肺活量などの呼吸検査を? と首を傾げた次第であるが・・・・それは、今回の手術の際に僕が希望をした、全身麻酔とどうも関係があるらしい。
 診察室で、診察を受けた女性の H 先生の話によると、今回の全身麻酔は鼻と口にプラスチックのマスクをかけ、そのマスク内に麻酔剤と睡眠薬を混ぜた空気を送り込み、痛みを感じずに眠っている間に手術を行なうものであるとの事。
 そうだとすれば、呼吸機能のことを事前に色々と調べておくことは当然のこと!!
 あとは手渡された 『麻酔のしおり』 を参照しながら細かい説明と全ての診療が終ると、5日後の入院日までの注意事項の説明があり、麻酔に関する同意書にサインして、麻酔科の先生の診察は全て終了。
    
 最後に、今日の締めくくりとして、11時に外科の Y先生との面談があり、
今後のスケジュールは

   5月17日  10:30  入院
   5月18日  12:00  中央手術室にて 手術

となっているという説明があった。 また、外科手術前の筋力強化リハビリの説明があり、警察病院での今日のスケジュールを終了した。

2012-05-13 (日)   晴   仙了庵(@Tokyo)   気温(最低= 11℃、最高= 22℃)

 午前中、スオミ教会の礼拝に出席。
 午後、トイレの電球が切れたので、島忠に出掛けて、我が家で初めての LED 電球を買って来た。
 買って来たのは、今までの 60W 電球と同じ明るさの LED 電球だが、その値段は ナント ¥ 3.980.- !!
 オヤオヤと思って、説明書を読んでみると、明るさは、従来の60wの電球と同じだが、消費電力は、これまた ナント たったの 7W。 更に、電球の寿命に至っては、これまた ナント 40,000時間。 一日 3時間づつ使っても、40時間ももつ計算である。 ホントに、世の中の流れは日に日に変わって往くものである。
 夜、このサイトの読者の一人から 問い合わせがあった。
 ● この
高原日記の、毎日の 見出しの中にある、 仙了庵(@Tokyo) とは 何の事だというお問い合わせである。
 勿論、即座に、その意味する所は、ご返事申し上げたが、他の読者のために、改めてここで説明をして置く事にします。 
毎日の日記の見出しのこの位置には、 大別して  この 仙了庵(@Tokyo)  ヒュッテ が記入されていますが、ここに書かれている場所は、当日の日記が何処で書かれたかをしめしています。

 
 ヒュッテ とは、長野県南佐久郡にある 八ヶ岳の山麓 (標高 1,381m) にある チッポケなセカンドハウス。

 ● 
仙了庵(@Tokyo) とは、都内にある自宅の愛称です。 この自宅には 40年ほど前に植えたたった一本のヒョロッとしたセンリョウが今では家の周りにワンサと増えたことがその語源の一つ。 もう一つには、自称 山男 (“仙” とは山に住んでいる人を意味します!!) が、山男をやめている (→ “了”) 時に住んでいる 小さな家 (→ “庵”) を文字って付けた名前です。 その後の (@Tokyo) はその文字通り、東京に在る という意味です。 

 ● 
ちなみに、当日の日記が、この2ツの場所意外で書かれた時は、その場所の名前が記入されています。

                          チョン!!

 今日は、2〜3回、手術前の筋力強化リハビリと、全身麻酔の呼吸練習をした。明日からも忘れないように毎日 行なう事!! それから、今度の土曜日に迫った入院の為の必要品を集めておくこと。 何故かっていうと、いつも、その直前になって、アレガナイ・コレガナイって大騒ぎすることがよくあるからである・・・・・!!

2012-05-17 (土)   晴   東京警察病院   気温(最低= ℃、最高= ℃)

 入院後・・・・・・・・
      排尿 5 回   排便 0 回


 今日は 午前10時半に、東京警察病院外科病棟に入院の日である。

 ・・・・という訳で、朝ご飯が済むと、今迄に 入院の必要品を揃えたバッグの中身を最終点検し、ヒュッテに出掛ける時に使っているキャリアーにバッグを積むと、午前10時過ぎに我が家の玄関を出た。
 我が家から警察病院までは歩いて20分程。
 爽やかな初夏の陽射しの下、半ば散歩気分で歩いて行くと、中野駅周辺の最近の変貌振りに改めて驚きの目を瞠らさせられてしまう。


 その中でも特に目立つのが中野駅と警察病院の間に出来た 『中野の森』公園である。
 現時点では、この公園はまだ完成していないが、それでも、大きな広葉樹が涼しげな影を落とすこの公園には、週末ともなるとなると、涼しげな木陰のベンチで涼しげ涼風に包まれて読書を楽しむ人達や楽器を奏でるヤング達で賑わいを見せており、将来は多くの人たちの憩いの場所になるのではないかと思う。


東京警察病院は・・・・
週末ともなれば多くの人達の憩いの場となっている
『中野の森』公園の奥(写真中央の奥)に
静かに建っています。

 こんな雰囲気の中をユックリとした散歩を楽しみながら、東京警察病院の入口に着いて時計を見ると、指定された入院時間のカッキリ10分前。
 入院の受付に顔を出し受付を済ますと、僕の病室は6階の外科病棟の34号室とか・・・・早速、エレベーターで6階に上がり、外科のナースステーションに顔を出すと、そう、歳の頃は、高校卒業後か短大生位の感じの、兎に角、若くてキュートなその看護師さんが僕を部屋まで案内して、僕のベッドを教えて呉れました。 

 そのあと、その看護婦さんのアドバイスに従って、家から持って来た入院用の品物を、ベッドの脇の 小机のロッカーや抽斗の中にしまっていると、そのキュートな彼女が 再度 部屋に現れ、血圧を測ったり、質問表を回収したり、必要事項を手際よく案内して下さったあと・・・・・・一度はナースステーションに引き返されたが、暫くすると、今度はカミソリとシェービングフォーム持参で、再度 病室に現れ
『あした 手術をなさる部位の毛を剃らせて下さい・・・・・・』
と言うと、僕のベッドの周囲のカーテンを全部閉めて、僕をベッドの上に寝かせ、ズボンを下げさせると(チョット恥かしかったデス・・・・・・!)、サッサと事務的に 鼠径ヘルニア(脱腸)で膨らんだ部位を中心に体毛をキレイに剃って呉れました。
 そして・・・・・・それから 30分程すると、今度は別の先輩をとおぼしき 女性の看護師さんと2人でやって来て、手術部位の剃毛状態を見て貰って OK の承認を貰いました・・・・・・ホッ!!

 ・・・・こういった一連の準備が整うと、その可愛らしい看護師さんは
『・・・・・・それでは、何かあったら、遠慮なさらないで、このボタンを押してください! 直ぐに、参りますから・・・・・・』
と念を押して、自分の持ち場に戻って行かれました。
 別れ際に、そのキュートな彼女の胸の名札をみると、S*k*** という名前が見てとれました。
 S さん、有難う! 貴女はトテモ素敵です・・・・・・!!

 僕のベッドは窓外の景色が素晴らしい南向きの明るい窓際。 

      
 

 ラッキー!! である。
 ・・・・ついでの事ながら、ココで言ってしまうと、手術の為に入院をしたのは、今回で4回目のことだが、その4回とも、僕は いつも大部屋に入院をして来ました。
 理由は、僕自身がお金持ちではないことが一番大きな理由だけれど、それと同じ位に大きな理由は、ボクという人間は 兎に角、一人ボッチで居る というのが苦手な人間である為でアリンス。
 そして、今回の場合もそうであるが、いつも同室の患者さんに恵まれることである。
 今回の その出会いは、こんな風にして訪れた次第である。
                            (つづく)


2012-05-18 (土)     晴     東京警察病院  

 排尿 12回  排便 1回
  

 正午より 鼠径ヘルニア (← 分かり易く言うと “脱腸” のことである・・・・) の手術の日である。

 いきなり話は変わるが、自宅に居る時の僕は、毎晩、寝床に入るのが午前3時〜5時頃が普段の慣わし。
 ところが、昨日の入院初日の昨夜は・・・・ナントマア、病院全体の消灯時間が9時過ぎだったので、今朝はもう5時半過ぎには目が覚めてしまった。
 ・・・・・僕は暫くの間、ベッドの上に横になっていたが、やがてノッソリと起き上がると、トイレに行き、歯を磨き、顔を洗うと静に部屋を出て、6階のフロアの一回りに出掛けた。
 いつも思うことだけど、病院の中っていうのは、とても静である。
 幾つもある病室は、ドアが閉まっている部屋もあれば、ドアが開き入口のカーテンが静に掛かっている部屋もある。
 見回りをしている看護婦さんだろうか・・・・薄明かりの点いた廊下で、一つのドアの中から出て来ると直ぐ隣のドアの中に消えて行った。
 ナースステーションの前を通ると、2人の看護婦さんがパソコンの画面を眺めながらキーボードを静かに叩いている。
 ステーションの隣には緊急介護室(だと思うけど)があって、その入口のすぐ脇に置かれた周りに木柵のついた可搬型のベッドの中では、点滴の管がついた腕を上にしたオバアチャマが横になってスヤスヤと眠っている。
 ・・・・・・
 僕達の病室のある6階のフロアは、西半分が外科で東半分が内科(だとおもうけど)病棟になっていて、その両科の南側病室群の中間に面会室がある。
 廊下の散歩をしていた僕は、誰も居ないその面会室の前まで来ると、ソッと中に入って南側一面に広がったガラス窓の前に立って外を眺め始めた。正面には病院の別棟の建物があって、その向こうにはつい最近完成オープンされた美しい大通りがあり、時折り、黄色い屋根灯をつけたタクシーや自家用車が通っていく。
 その大通りの向こう側(南側)には、建設中の帝京平成大学とこれも建設中の明治大学の高い建物が黒く聳ている。
 その両大学の敷地の左手(東側)には、これも建設中の昼間見ると美しい 『中野の四季の森』 の樹々のシルエットが静に佇み、その先き左手のずっと遠くには、新宿の高層ビル群の屋上灯が赤く点滅している。

『美しいな・・・・』
 そんな事を考えて暫くの間、ボンヤリと佇んでいた僕だったけど、フト我に還って部屋に戻って来た。
 昨晩、2人で夢中になって喋りまくった同じ病室のSさんは、まだ起きている気配がないので、僕は自分のベッドに戻ると手許灯を点けて、いま勉強中のフィンランド語の教科書 “Suomea suomeksi(フィンランド語をフィンランド語で)” を開いた。
 外国語の勉強は、僕の趣味の一つである。
 ・・・・今まで勉強してきた外国語には、英語、露語、仏語、西語、独語、スエーデン語、エスペラント語、ラテン語、それから目下勉強中のフィンランド語あるが、このうち、英語、露語、仏語、だけは、その国に行っても、マアマアどうにか生活が出来そうな位にはモノになったけど、西語と独語はあと1年ほどシッカリやらないと、聊かあやふやな所がある。
 目下勉強中のフィン語は、ちょっとした必要性に駆られて習い始めた言葉なんだけど・・・・今まで憶えてきたラテン系/印欧語族の言語とは、全く違った言葉なので、会話が出来るようになるには、あと2〜3年は掛かりそうな雰囲気。
 ・・・・・・という状況下で、今回の入院に相成った僕である。
 だから、時間がフンダンにある、今回の入院は、時間的に物凄く恵まれたひと時である。

 ・・・・・と、いう訳で、 Suomea suomeksi を夢中になって読んでいたら、いつの間にか、辺りは明るくなり、新しい朝がやって来ていたので、自分のベッドの周りのカーテンを開けたら、いつの間にか起きられたのだろうか、同室の、Sさんは身支度を整えて、身の回りのものを盛んに整理していらっしゃる・・・・・
『お早うございます!』
と声を掛けて、訊いて見ると、実は今日が退院日とのこと。
 小一時間ほど経つと、Sさんは僕の所にやって来て、
『それでは、これで失礼します。・・・・又、何処かでお会いしましょう・・・・!!』
と言ったので、僕も直ぐに
『有難う! 夕べはホントに楽しかったです。 これを機会に、お互いに何かあったら連絡を取りましょう・・・・』
といって、僕のペンネームの入った名刺(僕は自分の本名の入った名刺は持っていません!)を渡すと、彼は急いでメモ用紙に氏名・Tel. No.・メールアドレスを書いて僕に渡し
『・・・・では、お元気で・・・・!』
と言って大きな手を差し出した。
僕も
『・・・・申命記の28章を読むたびに貴方の事を思い出しますよ。』
と言って、彼の手を握り返した。
『アハハハハ・・・・申命記ですか?・・・・アハハハ・・・・では、又!』
彼の大きな男らしい手。その手が僕の手を力一杯に握ってきた。
『有難う! 貴方もゴキゲンヨウ!』
僕も彼の手を力一杯に握り返した。
 僕の本職は、れっきとした船乗り・・・・東京商船大学航海科を出た大型船の航海士だったけど・・・・往時、船乗り同士・・・・仲間であろうと、外国船員との間であろうと、船乗り同士の握手というのは、いつもガチッとした握手だったことを思い出して、微かに目頭が熱くなったのを憶えている。

 Sさんが居なくなると、部屋の中は急に静になってしまった。
 僕は改めて、ベッドに仰向けになって横たわり、白い天井を眺めながら暫くの間、昨夜、Sさんから聞いた、彼のこれまでの数奇な人生の事を考えていた。 ・・・・・・と、
『お早うございます』
と、明るい声と同時にキノウからお世話になっている看護婦さんと、もう一人別の看護婦さんが入ってきて、
体温と血圧を測ったあと
『きのう私が剃った箇所を、見て貰って下さい。』
と言われたので、パンツを下げてキノウの剃り跡を見せると
『大丈夫・・・・キレイに剃れています。いいわよ、これで・・・・』
という事で、剃毛検査も無事通過・・・・・

『それでは、準備が出来たら、また参りますので・・・・・』
という言葉を残して、チャーミングな2人の看護婦さんは部屋から出て行ったので、僕は又・・・・ベッドのテーブルに向かって、フィンランド語の教科書を開いた。
 
 そう、それから2時間ほど経った 11時半頃だったろうか、先刻、剃毛の検査をして下さった看護婦さんが部屋にやって来ると、
『さあ、八岳さん それでは用意をして、手術室に参りましょう・・・・・・』
と言いながら、僕が1階のローソンで求めて来た紙製のクリーンキャップとT字帯を僕の身に着けさせると、先にたって部屋を出てエレベーターに向かって歩き始めた。
 ★注 : この日誌の描写表現については、退院後 (だって、病室にパソを持ち込んで、サイトの更新をするナンテ飛んでもない事だもの・・・・) に、毎日の主な出来事を大雑把に記入していた手帳と自分の記憶を頼りに入院中のことを書いているので、細かい部分で、当日の実際の情況と異なっている可能性があることを、特記して置きます! もし、間違いにお気付きの方がいらしたら、お知らせ頂ければ幸いです。
 中央手術室は2階にある。
 エレベーターを2階で下りると、チャーミングな看護婦さんは広い部屋を通り抜け、真ん中に手術台のある大きな手術室まで来ると、手術台の頭の部分に待機していた数人の医療チーム(・・・・全員が顔に大きなマスクを掛けているので、誰が誰だか全く分からない!)に、
『八岳晴耕さん(← 正しくは 僕の本名を伝えた)です。よろしくお願いします』
といって、僕を引き渡した。
 すると、僕の傍に近付いて来た男性が
『それでは、こちらのベッドの上に寝て下さい・・・・・』
と言い、その言葉に従って(・・・・ムムムム? 顔の大きなマスクで、よく分からないけど・・・・もしかすると、この声は麻酔科の先生の声だったかも知れない〜〜〜!!)気軽にベッドの上に横になると、別の男性の声が僕に問いかけた。
『お名前をオッシャッテ下さい』
『八岳晴耕です』
と答え僕が八岳晴耕であると確認がとれると、皆さん方は、暫くの間、忙しく立ち回って準備を進め、それが静まると、先刻の麻酔科の先生の声と思しき声が再度
『はい。・・・・・・それでは大きく深呼吸をしてみて下さい』
と語り掛けて来たので、大きく深呼吸をすると
『はい、それでイイデスヨ』
という言葉が返って来ると同時に、僕の顔の下半分に・・・・鼻と口をピッタリと覆う・・・・長いチューブの付いた、プラスチック製の半透明のお面のようなカヴァーが掛けられた。
 (成る程、このマスクの中に麻酔剤の入った空気を送り込んで、全身麻酔をかけるんだ・・・・・・)などと余計な事を考えていると、 僕の深呼吸が普通の呼吸に戻ったんだろうか、すぐに、その普通呼吸を打ち消す様に
『ハ〜イ、イイデスカ?・・・・深呼吸はそのまま続けていて下さ〜いヨ〜〜!』
という強い調子の言葉が返って来た。
 その言葉に従って、改めて普通呼吸を深呼吸に戻すと、すぐに
『ハ〜イ、八岳さん、その調子でイイですよ!』
という励ましの言葉が聞こえると・・・・・・今度は
『は〜い、イイデスカ〜!! ・・・・・・それでは、次に大きな深呼吸を5回して下さ〜い!』
という言葉が掛かったので、大きな深呼吸をしながら、心の中で
(1回・・・・2回・・・・3回・・・・4回・・・・5回・・・・)
と、深呼吸の回数を数え始めた。

 すると、ドウダロウ?! 深呼吸を5回まで勘定した事はシッカリと憶えているのだが、心の中で・・・・最後の “5回” の・・・・ゴ・・・・イ・・・・の “イ” と言った後の事は、正直な話し、何ヒトツ憶えていないのである。
 ねえ、コレッテ物凄いでしょう?! でも、コレッテ、本当の話なんです!!

 そう・・・・例えて言うと、金曜の夜に寝る時のような、何の屈託もない眠りの中に、アッという間に放り込まれたっていう感じナンダヨネ・・・・・・分っかるかナア??!!
 イヤ・・・・・・その安らかさは、今でも、ハッキリと憶えているけど、本当に・・・・Braaaavo!・・・・と言うよりも・・・・Braviiiiiissimo!!・・・・(←こんなイタリア語があるかどうか、僕は分からないけど・・・・とにかく、Bravissimo ! と賛辞を上げたくなるような素晴らしい眠りだったんです。 ホントだよ〜〜〜ッ!!!!!

 それから、どの位の時間が経っただろうか?
 僕は闇の中で、突然、誰かが遠くの方で
『八岳さ〜ン』
と呼ぶ声をきいたのだ・・・・!!
その声を聞いたトタン、(ん???)と思って、ソチラの方に顔を向けると、今度はもっと近くで
『八岳さ〜ン、分りますか〜〜〜??』
と僕を呼ぶ声がしたのである。
 その声を聞いた瞬間、僕は(あ、確か、この声は、もしかすると Y先生の声だったぞ!)と気が付いたので、
『ハ〜イ、分りま〜す!』
と言って、目を開くと、目の前にメガネを掛け、大きなマスクをした顔が見えたのだが、如何せん・・・・麻酔の為だろうか? 兎に角、目の焦点が合わないのと大きなマスクで顔が隠されているので、その人が誰であるか、見た所では全く分らない。 でも、声だけは・・・・Y先生の声のような気がする。
・・・・・・そんなこんなで、(はて、これはY先生だろうか???)と考えていると、、そのY先生と思しき人は、再度、マスクの中から僕に声を掛けたのである。
『八岳さ〜ン、分りますか〜〜〜??』
 ・・・・・・・その声を聞いた瞬間、僕は(ア、これは間違いなくY先生だ!)と思ったので、
『ハ〜イ、分りま〜す!』と言ったアト
『先生! 今度、僕と一緒に写真撮って下さい!!』
と叫んだのを、今でも、ハッキリと憶えている。・・・・当のY先生ご自身が僕の言った事を憶えていらっしゃるかドーカは全く分らないケド!

 それにしても、今回の手術は、微積分の問題を小気味良く解く様に、ナント手際よく終っちゃったのだろうか?
 ・・・・・・麻酔の為だろうか・・・・・・目の焦点が合わないため、周囲の人や天井はハッキリとはみえないけれど、術後の痛みは無いし、気分も爽快だし、呼吸する空気もサラッとしていて、気分は爽快そのものだし・・・・・・と、感心している暇もあらばこそ・・・・
『ハーイ、それでは、お体を移しますからね〜〜!』
のひと言に合わせて、3〜4人の白衣の男女の手が僕の体を手術台から持ち上げ、ヤッコラサと患者運搬用の移動ベッドに移すと
『それでは、お部屋に戻りますよ〜〜』
と声が掛かり、4〜5人のマスク・白衣“姿”の人達に見送られて、僕を乗せた移動ベッドは、手術室を出るとエレベーターで6階に上がり、4〜5分後には、もう僕の病室(634号室)まで戻って来ていて、僕の体は再度3〜4人の人の手で、ヤッコラサと、自分のベッドに軽やかに移されていたのである。
 
 そのあと暫くの間、その3〜4人の先生や看護師さん達(?)は、僕の体温や血圧を測定したり、点滴の落ち具合を注意深く眺めたり、更には、ベッドに横になった儘の僕に、ベッドランプやナースのコールボタンの使い方を分かり易く説明した後、自分達の持ち場にサ〜〜ッと引き上げて言ったんでアリンス!!
 これが、見事でなくて、何ンデアリンショウ・・・・??!!。
 今回の手術で、今迄に他の病院で受けた手術と一番違って感じさせられたのは・・・・・・アノ手術前の何んとも言えない・・・・・圧迫感にも似た緊張感が、この病院では殆んど感じられなかった事である。 その事は、昨日の入院以来、僕を Take care して下さっている看護師さんを始めとした病院全体のカラーとして感じさせられて来たのだが、緊張感というよりは、むしろアットホームで温かな雰囲気が、僕にこの様な安心感を抱かせ続けているのかも知れない・・・・・・
 ・・・・・・病室に一人残された僕は、看護婦さんが最後に言った
『安静にしていて下さいね!』
のl言葉に従い、天井を見詰めながら自分のベッドに横たわり、昨日から僕の身の上に起きたことを、ユックリと思い返しているうちに・・・・・・ふと・・・・・・
(こうして寝ている、たった今のこの一瞬々々も全て “一期一会”、僕の人生の中で2度と同じ事は起こらないのだ!)
と、いう事に気が付くと、何故か今、この病院の中に居る事が、とても貴重なことの様に思え
(何て素敵なンだろう・・・・今このベッドに、こうして寝ているのって!)
と思うと、まだ麻酔から完全に覚めきっていなかったのであろうか・・・・・・不意に大きな欠伸(あくび)を一つすると、僕はもう一度、アッという間に、深いねむに落ちていったのである。


2012-05-19 (土)     晴時々曇     東京警察病院

 排尿 10 回   排便 2 回
 穏やかな朝。
 僕は静に目を開いた。
 カーテンから漏れてくる光はすでに明るい。
 病室の少し固めのベッドの上で、左手の腕時計に目をやると・・・・・・時間はまだ5時を少し廻ったばかり。

 話は変わるけど、僕は普段、寝床に入ると朝まで真っ直ぐに上を向いたまま眠っているようである。
 ・・・・だから、余程の事が無い限り、寝返りも打たないし、横を向いたりもしないようである。
 だからだろうか、僕は普段から固いベッドが大好きで、畳みの上や固い板の間の上に、直(じか)に寝ることも、チットモ苦にならない。 
 だからだろうか、その逆に、フカフカの柔らかいベッド・・・・・特にお尻が下がって、腰が少しでも折れるようなベッドは大の苦手である。

 以前、今から40年ほど前の30歳代の半ばだった頃、外人を連れて京都の観光旅行に出掛けたことがある。
 そして、京都で1,2を争う高級ホテルに泊まった夜の事、柔らかいベッドで、どうしても寝付かれず、ベッドに入ってから30分ほどしてから、やおらベッドを出ると、毛布を2枚、木の床の上に敷き、その間に入って翌朝までグッスリと眠った事があったっけ・・・・・・!
 
 ・・・・・・そんな事を思い出しつつ、静かな病室のベッドの上で耳を澄ますと、病院の中はとても静か。
 
 気が付けば・・・・・・麻酔が切れた所為だろうか、我慢できないほどではないが、手術跡が、静かに痛んでいる。
 僕は、ユックリと起き上がって、トイレに行き、小用を足しながら、フト、現時点の、この病室の生活が、いつもの我が家の生活とナンテ違うんだろうと・・・・・沁み々々と考えていた。
 
 我が家では、ふだん寝床に入るのは午前2時から5時半くらいの間だが・・・・・この病室では、消灯時間の午後9時過ぎに眠りに就き、午前5時過ぎに目を覚ましてしまう。
 分かり易く言うと、午前5時という時間をとってみると、我が家では就寝時間なのに、今の生活では起床時間だという事ナノデである。
 そんな為だろうか?
 今回の入院は僕にとっては、心ゆく迄ユックリと眠れる・・・・・・素晴らしいひと時なのである。
 午前 7 時、朝食。
 朝食が終る頃、女性の看護師さんがやって来て、体温を計りながら、手術跡の痛みやその他の質問を幾つかし、血圧を測り、点滴の落ち具合を暫く眺め、フトン周りをチェックすると、
『では、又、のち程・・・・お大事にネ』と言葉をかけて、病室を病室を出て行った。

 これは、余談になるけど、僕には、女性の看護師さんを“看護師”さんと呼ぶ呼び方には、どうも馴染めない。
 男性の看護師さんを看護師さんと呼ぶ呼び方には、何等抵抗を感じないのだが、女性の看護師さんを看護師さんと呼ぶのには、何か違和感を感じさせられる。
 やはり、看護婦さんは“看護婦”さんじゃナクッチャ〜〜って思う。
 ・・・・・・それは、今までの僕の人生で、何十年もの間、そう呼び習わして来たせいもあるし、看護婦さんをしている女性をとても素敵だと思っている所為かも知れない。
 これから先、もしかすると看護婦さんという言葉をこの入院日誌の中で使ってしまうかも知れないけど、その節には、どうかお許し下さいませ・・・・・・・
 9時過ぎには、お医者さん一行の回診があった。
 このご一行の中に、何人のお医者さんと男性の看護師さんと、女性の看護師さんがいるのか分からないけど、一番前に居たドクターが、手術跡を検査し、色々な質問をし、僕の状態が順調だと分ると、一行は踝をかえして次の病室へと移って行かれた。
 後で、段々と分ってきたのだが、午前中は、先刻の女性の看護師さん達の見回りチェックと、お医者さん一行の回診があり、それが終ると後は特別なことが無い限り、ベッドの上で静養に努めたり、廊下を歩いて手術あとの回復に努めるのが患者の日課という事になる。
 当然の事ながら、体を動かすことの大好きな僕は、この外科病棟と隣の内科病棟の廊下を一日に何回か歩きまわり、歩くのに疲れたら、ベッドで横になるのが、毎日の日課となって行くのではないかと思う。

 話は変わるが、6回のフロアの西側半分には外科病棟。 東側半分には内科(?)病棟があるが、その両科の病室の間に、患者と面会者のミーティングルーム(面会室)がある。
 この面会室に入ると、正面の全面のガラス窓は南に向いているので、部屋の中は明るく、初夏5月の頃は下の写真の様に部屋の中は明るく爽やかである。 全面ガラス窓の窓際には、大きな木製のテーブルが設えて(しつらえて)あり、語学好きの僕は、その一角にフィンランド語の教科書 “Suomea Suomeksi” (フィンランド語でフィンランド語を!)を持ち込んで、夢中になってフィンランド語を勉強したものである。
 この話を聞くと時折り
『エ〜〜ッ、入院中に語学の勉強を〜〜ッ?!』
って、非常に驚かれる方がいらっしゃるけど、僕にとってはごく普通で自然なことなのである。
 ・・・・・・って言うのは、僕の趣味の主だったものを挙げてみると、山登り、水泳、卓球、社交ダンス、将棋、チェス、読書、音楽、歴史、数学、語学、etc. etc. があるけど、僕にとっては、それ等の趣味に関する本を読むのは、趣味の読書の本を読むのと同じようなもの・・・・・・分かり易く書かれていれば・・・・・・微積分やフィンランド語の学習書を読むのと、トルストイやヘルマン・ヘッセ、日本の作家で言えば、夏目漱石や堀辰雄、それから村上春樹の小説を読むのとは、同じ位に楽しくて面白い・・・・・・と言う事なのである。
 
 要するに、今の僕の様に、手術後の療養をしているものにとっては、ベッドの上で、静かに寝ているのも、家族が持ってきてくれた週刊誌を読むのも、村上春樹の“1Q84”を読むのも、フィンランド語の教科書に目を通すのも、“ラプラス変換”の入門書に夢中になるのも、全く同じことだ・・・・・・という事なのである。 その上、僕の様な語学気違いにとって、素晴らしい事は・・・・・・“Suomea suomeksi” (フィンランド語でフィンランド語を) を夢中になって読んでいると、手術後の傷跡の痛みを忘れて居られると言う利点があると同時に、いつの間にか、フィンランド語の文法や単語を覚えてしまうという楽しみがあるのである。
 どうです? 素晴らしいでしょう・・・・・・?!
      


 昼食後、面会室で “Suomea suomeksi” (フィンランド語でフィンランド語を)をよんでいたら、午前中の回診を終えられたのだろうか面会室の前を通りかかった Y 先生が僕に気が付いて声を掛けて下さった。
 幸いなことに、その時、面会室から外の景色を撮ろうとして、持ち歩いていたデジカメが手許にあったので、先生と一緒にいらしたもう一人の方に、先生と僕の写真を撮って頂いた。

 ・・・・・・後で、気が付いたのだが、もしかすると、先生は、昨日、手術が終わって僕が麻酔から覚めかけた時、先生に
『先生! 今度、僕と一緒に写真撮って下さい!!』
と言ったのを、憶えていて下さったのかも知れない。
 そう、気が付いたら、この東京警察病院が一層、近しい病院に思えて来たのが、とても愉快だった・・・・・・!!
 
 そんな事を考えていると、ますます この病院に親しみを感じてしまうから 不思議である!!

 陽が傾き始めた午後のひと時、静かな病室のベッドの上で天井を眺めながら横になっていたら枕元に置いてあったマナーモードの携帯が微かに振動するのに気が付いた。
 携帯を開いてみると、大衆喫茶 Veloce で時折り顔を合わせるコーヒー仲間からのメールで・・・・・・
『 八岳さんは、ふだん忙しいので、こういった時こそ、ユックリと時間を過ごし、回復に1点集中して早く良くなって下さい・・・・・・!]
という優しいお見舞いの言葉が綴られていた。
 僕は嬉しくなって、大急ぎで Thanking email を書いて発信した後、もう一度ベッドに横になり、改めて、今現在のオレ自身について、色々と考え始めた。
 そして、暫くすると・・・・・・
普段は超イソガシ人間の為、そんな事は殆ど考えたことは無かったのだが、今、こうして静かに自分自身の事を考えている中に、オレという人間は、どうやら仕合わせな人間らしい・・・・・・という事に、段々と気が付いて来た。

そして・・・・・・
『・・・・・・だって、そうじゃない?!』
と、自答すると、そう考える理由を、心の中で整理してみることにした。

・・・・・・
 いま現在の僕は、健康時の自分自身に比べると体全体に力が入らないし、手術跡も20分おき位に、10〜20秒くらいの間ズキンズキンと 痛み (★ 元来、胃が余り強くないので、“痛み止め”はナルベク飲まない様にしています・・・・)、自分の思う通りに体を動かすことも出来ないけど、おおそれた事を考えなければ、まあまあ 人並みの生活は出来ているみたいだからである。 、
 そして、仕合せな事に、時々 喧嘩はするけど、マアマア仲の悪くない家族と大勢の素敵な友達に恵まれ・・・・・・片目さえ瞑っていれば、家族一同 精神的にも 健康的にも、人並みの生活は送れているらしいからである。
 それと、もう一つ恵まれていることは、こまかい事に文句を言わなければ、経済的にも マアマア 人並みの生活は出来ていて・・・・・・これは さらに一歩進んで 非常に大切な事であるが・・・・・・決して大金持ちではない事である。

 何故かは分らないけど、僕の考え方の中には・・・・・・お金ナンテいうものは、ごくごく普通の生活が出来てさえ居れば、後はホンのチョッピリ だけ余裕がある程度が一番イイ状態で、それ以上タクサンのお金が有る事は、ボクみたいな人間にとっては、決してイイ状態ではない!・・・・・・としか考えられないのである。
 ・・・・・・って言うのは、オレみたいな人間に大金を持たせると、十中八九、良からぬ事しか考えない様になってしまのではないかと思うからである。
 それから、もう一つ!
 これは僕の仕合せ感というのだろうか、幸せ哲学とでも言うのだろうか?
 人間にとって一番の幸せというのは、“ひと様のものを盗ってやろう!” とか “オレさえヨケレバ、他人はどうなっても構わネエ!” とかいう様な “邪な (よこしまな) 事” や “自分勝手な事” を考えずに、出来れば 純粋な考え方 と 澄んだ気持ちで  いま自分の目の前にある事に、全神経を集中して、全力を出し切れる状態が一番仕合わせな状態ではないかと考えている様である。
 その・・・・・・自分の目の前にあるものはなんでもイイ・・・・・・!
 将棋でも・チェスでも・囲碁でもいいし、読書でも・微積分の問題でも・語学習得でも・作詩でも・作曲でもいい。 仕事で言えば、ひと様の仕合わせさえ忘れなければ、大会社経営でも・お医者様でも・個人商店でも・農業でもいいし その他の良心的な仕事は全て立派である。 その他 スポーツでも、恋愛でも、セックスでも、宗教でも、政治でも 心底 ひと様の仕合わせを希い、お日様に向かって 全てを晒け出せるような気持ちで 目の前にある事に取り組めれば、それが一番の仕合わせだと僕は思っている。
 そう・・・・・・だから、今のオレにとって一番幸せなことは、この東京警察病院で 一日も早く元気になり、一日も早く退院出来、一日も早く社交ダンスに取り組める日が来るように、健康回復に全力を尽くせる事が一番の仕合わせだと思っている。
 こんな事を書くと・・・・・・
 ナンテ単純なヤツだと、自分も思うし、他人もそう思うと思うけど・・・・・・その単純さが自分自身で 物凄く好きだし、そんな風な生き方が・・・・・・今のおれ自身にとって、一番の仕合わせだと確信している次第である!!!!

 そして、その為には、この病室も、面会室の窓からの眺めも、Y先生が主治医であることも、看護婦(失礼!)さん達がキュートで素敵なことも、ご飯が美味しいことも・・・・・・要するに、この東京警察病院という病院自体が、今のオレにとって一番素敵な医療機関である・・・・・・という風に確信出来ている事が今のオレにとって一番の仕合わせな事である!!!!
・・・・・・という事になると思います。
 何故、そんな風に思えるのか??・・・・・・って??
 それは、この 八岳晴耕という 自分自身にとって・・・・・・そう・・・・・・この 八岳晴耕 という 自分j自身を取り巻いている 森羅万象の全てが “空” ・・・・・・ 即ち “色即是空” だからだ という事を、自分自身が確信しているからだと思います・・・・・・!!
 分ッカルカナァ・・・・・・??
 分ッカラネ〜ダロ〜ナ〜〜??

2012-05-20 (日)     晴      東京警察病院   


 
排尿 9回   排便 2回
 今朝、血圧を測りに来た看護師の W さんが、
『八岳さんは、朝ご飯、ゴハンとパンだったら、ドチラがお好きなの?』
と訊いて下さった。
『え? オレ? ドチラかって言ったら、パンの方が好きかなァ・・・・・・ どうして?』
と訊くと・・・・・・
『あら、良かった・・・・・・それでは、こちらの用紙に書いてある 朝食と昼食のメニューの A と B の中から、どちらかを選んで出して下さい』
と言って、その方法を説明して下さった。
 彼女が部屋を出て行ってから、その紙を見てみると、ナルホド・・・・・・
 翌日からの 4日間の 3日目の朝食と昼食のメニューは次の通りとなっていたので・・・・・・
 
   朝食  A  ごはん             昼食  A  ごはん
           味噌汁                    きんめの照り焼き
           さつまあげ                  付)人参グラッセ
           香り漬け                    大根の炒め煮
           ふりかけ                    なめたけ和え
           牛乳                      果物

        B  食パン                  B  ごはん
           ミネストローネ                豚肉と卵の炒め物
           チーズ                     大根の炒め煮
           ハムサラダ                  なめたけ和え
           牛乳                      果物
 その日のメニューについては、僕は 朝食 → B : 昼食 → A を選び、そのBとAを ○ で囲んびました。
 このメニューは、その一日だけではなくて、他の日も、同じ様にして選ぶことができるのである。
 僕は今までのじんせいで、3〜4回、入院したことがあるけど、こんな風にメニューを選択できるのは、この東京警察病院が ホントに 初めてです。

 食事の事で話は変わるが、僕は物凄い スローイーター ( Slow eater ) : 食べるのが物凄く遅いのである。
 理由は、30歳代の後半に、ヒドイ胃潰瘍にかかり、手術こそしなかったが、お医者様に、
『よく噛んで食べなさい!』
『よく噛んで食べなさい!』
と言われ続けた為に、それ以来今日まで、口に入れたものは、最低 35回は咀嚼するようになってしまったからである。
 ・・・・・・だから、こんな風に、メニューが選べることは 僕みたいな人間にとっては、本当にあり難いことなのである。
 これからも、このシステムが この病院で ズ〜〜〜ッと続くと素晴らしいと思います。

 院長先生、是非、ヨロシクお願い致します。
     *************************************

閑話休題


 僕の趣味の一つに語学がある。
 今まで 先生について学んだ 8 ヶ国語のうち、 英語・仏語・露語の 3 ヶ国語は、それぞれの国でナントカ生活が出来るくらいには話せるようになったけど、いま現在は、 必要に駆られて 去年 習い始めた フィンランド語に 夢中になっている次第である。

 そんな時に、今回の入院騒ぎに相成った為、家内に フィン語の教科書 Suomea suomekusi (← フィンランド語を フィンランド語で) と会話の参考書を届けて貰い、体調の良い時に、ベッドのテーブルで 少しづつ読む事にしている。

 ところがである・・・・・・
 血圧・体温・点滴・体調の検査や飲み薬の配布などの為、一日に数回巡回して来る 女性の看護師さん達の何人かの方達は、テーブルの上に置かれた教科書や参考書に興味を持たれ、時間に余裕のある時には
『アラ、これ何語なんですか?』
『フィンランド語って、何語に似てるんですか?』
『八岳さんは、英語も話されるんですか?』
・・・・・・etc. etc. ホンの2〜3分の間だけど、話をして行かれる事がある。
 話は変わるけど
 警察病院の看護師さん達は、皆さん、とても 若くて、キュートで、チャーミングな女性達である。
 その上、心が温かくて 親しみやすいと来ているから、鬼に金棒・・・・・・ならぬ、女性に 美しさ!!

 年齢は皆さん僕の 1/3 以下だと思うけど、3日前の17日の入院日から翌朝にかけて色々と世話をして下さった S*k*n* さんなどは、僕の歳の 1/4 位の若さではないかと思った程である。
 ・・・・・・でも、皆さん一生懸命 われわれ患者の健康状態・・・・・・点滴の状態・血圧や体温の測定・入浴時間の通知・場合によっては食事の配膳の世話・消灯時間以降の天井灯の消灯チェック、気が付くとフトンの乱れをなおして下さったり・・・・・・更には 『ガスやお通じがあったかどうか?』 ctc. etc. 本当に頭が下がる思いがする!!!!

 一度など、18日の手術のあと、何回か 『ガスかお通じがありましたか?』と訊かれ、その都度
『いいえ!』
と返事をしていたのだが、翌朝、朝一番に見回りに来た もう一人の S さんに
『さっき ガスが出ました・・・・・・』
と言ったら、とても嬉しそうに
『アラ、よかった・・・・・・もう大丈夫!』
と言われた時は、本当に皆さんの心の温かさと、優しさを感じた次第である。

 話が、少し尾籠な話題になってしまったけど、実は、われわれが生きて往く上に於いては、実に真摯な話題なのである。 そんな事を考えると、この病院の女性の看護師さん達は、実に、若くてチャーミングで・・・・・・その上、何よりも素晴らしいのは、皆さん 明るくて、素直で親しみ易く、心の温かい事である。

 こういった女性とハイラーテン( heiraten [ 独 ] : 結婚する) 出来る男性は仕合わせである・・・・・・と、イヒ・デンケ( Ich denke [ 独 ] : 私は思っている) 次第である。


 今回の入院は、今日で4日目であるが・・・・・・一見、ケイサツ病院などと言うと、何か厳しさ(いかめしさ)を感じさせらるが、兎に角、非常に、温かさと優しさを感じさせらる病院である事に、気が付いた次第である。

 そんな事を考えていると、今後とも、この病院が、直ぐ近くの 中野の四季の森 や 帝京平成大学・明治大学・早稲田大学学生寮 と並んで、中野駅周辺の名所になって呉れればイイノニ!・・・・・と、心から希っている次第である。


2012-05-21 (月)     曇 (日食)      東京警察病院   


 
排尿 10回   排便 1回

 手術後、15分置き位にあった、刺し込むような 強い痛みは 30分置きくらいになり、痛みの程度も ホンの少しだけど、和らいで来た感じ。 この痛みは、何故か分らないけど、急にやって来るので、その瞬間は体がブルッと震える感じがする。 この痛みが無くなったら・・・・・・バンバンザイ だと思うけど・・・・・・
 一日2回ある、先生方の巡回の際に、その事を伝えるのだが、先生方は
『時間が経つと、収まって来ますから・・・・・・』
と仰って、殆ど気に留める様子もない。 
 当初、(コッチは、結構 痛いのに・・・・・・) と思ったものだったが、暫く経つと、先生方が平然としておられると、我々も (成る程、そんなものか・・・・・・ナ) と安心してしまうから不思議なものである。

 お医者様の存在は、実に大きなものである
 話は変わるけど、今日は日食の日。
 朝食後、同じフロアの内科東側にある、スペース(喫煙コーナー?)に行ってみたら、内科病棟の患者さん達だろうか、もう先客が何人か居た。

 皆さんに挨拶をして、仲間に入れて頂いたが、直ぐに打ち解けて、静かなひと時を過ごさせて頂いた。


 上の写真で分るかどうか分らないが、お日様は出ているのだけど、日食のため お日様の光が 葉の生い茂った林の中に居るように 薄暗くなっているのが とても不思議である。
 われわれがこうしてカメラを構えている間、前の廊下を看護師さん達は行き来するのだが、仕事が忙しいのか、一人として覗きに来ないのには、聊か驚いた次第。。
 暫くしてから、上の写真の正面のガラス戸をとおして、下を見ると 正面玄関の前の路上で、写真機を構えている人の姿が何人か見えたので、手術跡の痛みに気を遣いながら エレベーターで 1Fに降り、正面玄関の前を覗いてみた。


 1Fの正面玄関の前には、当直明けの非番らしい病院関係の男性一人を含め20人ほどの人達が、日食の写真撮影に夢中になっていた。 と、思う間もなく、例の差し込むような痛みを感じたので、ソソクサと先刻まで居た、6階の東側スペースに戻って来てしまった。


 話は変わるが、一番上の写真の東側スペースでカメラを構えている間、何回もシャッターを切ったが、僕のポケット用デジカメでは なかなか 満足な写真はとれず、マアマアと思えるのが上の一枚の写真である。
 実際に自分の裸眼で見ると、うす曇り状態とは言え、もっと ハッキリと日食で欠けたお日様が見えるのだが、僕のカメラでは、この程度で精一杯という事らしい・・・・・・ザンネン!!!!

     


 暫くして、日食の最盛期を過ぎた頃、内科の自室に戻られた入院患者さんが
『 テレビで、今朝の皆既日食の写真が放映されている。』
と言ったので、皆で、彼の部屋に押し掛け、現在 放映中の日食のテレビ画面を見せて貰い、その画面をデジカメに収めさせて貰った。

 このテレビ画面の文字注釈によると、
★ 画面真ん中のリング状の大きな写真は 08:02 に埼玉県加須市で特殊カメラを使って撮影されたものであり
★ 現時点の LIVE 画面は、テレビ画面 左下方の 四角の中に写されており、 この画面の上端には
  『 LIVE 東京 』 という表示が見受けられる。
 この東京の LIVE 画面の 太陽と 僕が撮影をした 上から2番目の太陽を比べると、余り違ッチャイナイ 事に気が付きます。 って、言う事は、オレのデジカメでも マアマアの絵が撮れることが分りました。
ホッ!!

 ところで・・・・・・
 今、僕が入院している 東京警察病院 の女性の看護師 さん達は、皆さんとてもチャーミングでキュートです。
 血圧や体温を測定したり、点滴のチューブの市を直したりしている時、彼女達から僕に余計な雑談を仕掛けることはないけれど、ひと息付いた時に、僕の方から、質問をしたり、話しかけたりすると、時間にユトリのある時には、少しの間だけ、話の相手をして下さることがあります。

 そのひと時が、入院中の僕にはとても楽しいデス。

 ある時、名前は一切伏せて置くけど、こんな事がありました。
 看護師さん達は、皆さん、英語に興味があるようなので、英語の話をすると、時間にゆとりがあるとホンの少しの間、話に乗って来てくださることがあります。
 その日の雑談はこんな風に始まりました。
『ところでサア、この間、むかし英語が好きだったって言ってたけど、今でも文法って憶えている?』
と僕。すると 彼女は
『・・・・・・昔は、好きだったからヨク勉強したけど、もう、大分忘れちゃったワ・・・・・・』
『あ、そう? ンジャア、現在進行形って覚えている???』
『あら、それだったらホンのスコ〜〜シ憶えているみたい。 Be 動詞のあとに 〜 ing  って続くのだったと思うけど・・・・・』
『そう そう ソレ ソレ!  それじゃあ、 “ I am begging to like you !” っていったら、どういう意味だか分かる?』
『エ〜ト、それは、始めつつあります でしょう? それから to like you って言うのは・・・・・・? あなたを好む っていう意味かしら?』
『ピンポーン、アッタリ〜! んじゃあ、何ンテ訳スンだと思う?』
『あなたを好むことを始めつつあります・・・・・・かしら、ヘンな日本語ねェ?!』
『ウン、意味は正確だよ・・・・・・ 平たい日本語で言うと、“貴方が好きになり始めています”って訳すんだよ!』
『そう? 意味は分かるけど・・・・・・そんな、日本語 何か 変ねェ ? 』
『ソッカ〜?? ンジャア もっと、やさしい日本語で言うとね、 “君が好きになっちゃいソ〜・・・・・・!! って、いうのが一番ピッタリしているのかも・・・・・・ネ ?!』
『アラ、八岳さんたら・・・・・・いつも、アッチコッチの女性に、そう言ってるんでしょ?』
『違う、違う、オレ アッチコッチの女性になんか言わないよ〜! だって、今 オレ 貴女に言ってるンだもン・・・・!!』
と言ったら、その看護師さん、あきれた様に僕の顔をジ〜ッと見詰めると、突然、クスクスと笑い出して
『八岳さんて、いつも思うけど・・・・・・ホントに 可笑しな人ヨねエ〜〜』
と言いながら、腕時計を見て
『あら、もう行かなくちゃ・・・・・』
と言うと、笑いながら 急ぎ足で部屋を出て行ってしまいました。

・・・・・・ネ? こんな女性って、ト〜〜ッテモ キュートで 楽しい人だと思いませんか??
 それ以後、その看護師さんは、廊下で会った時など、僕の顔を見ると、クスクスと笑い出しそうになってしまった様です。
 それが、イイ事か、ワルイ事か 分りませんが・・・・・・!
 でも、その日 一日が 僕にとっては 楽しい 一日になった事は確かです!!
 ・・・・・・
 この他にも、別の看護師さんには、僕の本職の船乗り時代の話だとか、また別の看護師さんには、学生時代の親友との 暑中見舞いの ヤリトリの傑作な話をした事などがあります。

 でも、どの看護師さんも、皆、素直に聞いて下さるのが、本当に楽しかったです。
 きっと、この病院は院長さん以下、皆さんの心が温かくて思いやりがあるんでしょうねえ・・・・・・!!
 とても、素敵な病院だと思います・・・・・・


2012-05-23 (水)     晴      東京警察病院   

 排尿 9回   排便 1回

 おとといは 手術後、15分置き位にあった、刺し込むような 強い痛みは 30分置きくらいにまばらになり、痛みの程度も 少しだけど、和らいで来た感じだったが、今日は更に その間隔が 50分位に広がって来ている。
 その事を、午前の巡回にいらした Y 先生にお伝えしたら、明後日に抜糸をして退院にしましょう・・・・・・と仰って下さった。 全く、バンザイである!!!!

     ヨカッタ〜〜!!

 午後、面会室(?)で、Suomea suomeksi (フィンランド語の教科書)を読んでいたら、不意にアノ 刺し込むような痛みを感じた。 僕は 10秒ほど ジ〜〜ッと我慢をしながら、窓の外を見ていたら、200メートル程先きの地上に、“中野の四季の森” 公園が美しく拡がっているのが目に入った。
 ・・・・・・15秒程すると、その差し込むような痛みはス〜〜ッと和らいだが、その後も暫くの間、遠くに見える 公園の大きな樹々を眺めていたが、そのうちに フト、こんな事を考え始めた。
 今、JR中野駅周辺は日に日に大きく変っている。


 今、目の前に見えている広い街路 や 中野の四季の森公園も、中野駅周辺の第一期工事で、昨年から今年にかけてオープンしたばかりだし、写真の左端の奥に見えている斜めに切り立った中野サンプラザ・ビルの更に奥一帯に拡がっている中野駅北口からサンプラザ入口にかけての第二期工事も近々オープンの予定である。
 
 ところで・・・・・・
 この中野駅周辺の一連の工事に興味をもった僕は、3年程前から、中野区役所 7階の中野駅周辺の総合開発を担当しているセクションを何回か訪問し、色々と話を伺って来たが、その第四期工事(その当時から数年後の予定)に、この東京警察病院のある中野4丁目とJRの鉄道線路の南側にある、中野3丁目とを、陸橋で結ぶ計画がある事を聞いていました。
 上の写真で言うと、正面に大きく写っているビルの左端奥に見える背の高い黒色の “電電ビル” 付近と線路を跨いだ中野3丁目の桃園通りを結ぶ陸橋を建設する計画である。


 この陸橋は、東西に長い中野駅の最西端 (高円寺より) を掠める様にして、鉄道架線の上を南北に走っているため、ホームの西端と陸橋を結ぶ階段を作れば、その上部を、中野駅の新しい西口改札にすることが出来ます。
    
      

 もし、いまから 2〜3年後の第4期工事で、中野駅の西口改札が出来れば、その新しい改札口のオープンは、この東京警察病院の 知名度と 経済性に 飛躍的な向上をもたらすと思うのだが、如何であろうか・・・・・・?!

 一昨年、その区役所の担当セクションから頂戴した、説明書には、一応 “中野駅 西口 新改札口” なる名称が見られたので、その改札口が新設される可能性を、その担当セクションに確認したところ、 その改札口を設置するか否かは・・・・・・中野区の意向に依るのではなく・・・・・・JRの意向次第に依ります!・・・・・・との事。

 この東京警察病院の将来の発展 ( ★ その効果は、警察病院だけに止まらず、新設の3大学 並びに 中野3丁目の桃園商店街にとっても、絶大な 知名度および経済的な効果をもたらします!!) の事を考えたら、今のウチから皆で、JRと中野区にお願いして、何とかして、その西口新改札をオープンしたらと、私は思うのですが、読者の皆様は どう思われるでしょうか・・・・・・??!!!

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閑話休題 :

 夕方、巡回に来た看護師さんが、ふとした拍子に
『八岳さんて、お友達が沢山いるんじゃないですか?』
と、言ったので
『ウン、いる いる! 面白いヤツがね・・・・・・』
と言ったあと・・・・・・こんな昔話をした・・・・・・


 僕が まだ 25 才だった頃の話なんだけど・・・・・・。
 或る夏のこと、友人達への暑中見舞いを一生懸命に書いていました。
 ・・・・ところが、いい加減でチャランポンな僕の事だから、15 枚ほどの見舞状を書くのも面倒臭く、それこそもう何枚も書かないうちに、すぐに飽きてしまいました。


 それでも、何んとかかんとか、最後の 1 枚まで頑張ったのですが、最後の 1 枚を書くのは、もう、とてもつらく、仲の良かった友人宛に出したその最後の見舞状には墨筆の大きな文字で・・・・
 「元気?」
と、だけ書いて投函しました。

 そしたら、 1 週間程して、その友人から返事が来たんだけどサア・・・・・・
と言って、言葉を切り
『・・・・その返信ハガキには、何んて書いてあったと思ウ????』
って、訊いたら、その彼女は
『有難う。 元気です・・・・』
『ハイ、元気です』
『元気です』
と、答えたけれど、全部、僕が・・・・・・違う、違う、違う・・・・・・と言ったら
『分らないワ! 何て書いて来たんですか?』
と、言ったので
『ソイツったらサア、葉書の裏に、フデ(墨筆)の大きな文字で、タッタ 一文字 「ん」 て、だけ書い来たンだよ!』
と、言ったら
『素敵! 面白いお友達ですネ・・・・・!!』
と、笑い出して喜んでいました。


午後 9時の消灯間際・・・・・
明後日の退院の事を考えていたら、何か急に淋しくなって
デジカメを持って、静に廊下を歩き、6回の西の端の面会スペース(さもなければ喫煙スペース?)を通りかかったら、遠くの夜景が見えていたので、記念に一枚パチリとシャッターを下ろして来ました。

お休みなさい・・・・・・!!




2012-05-25 (金)     晴      東京警察病院   

 退院日

 今日は退院の為、看護師さん達が朝早くから・・・・・・朝食をはさんで、何回も病室にやって来て呉れました。
 まず、いつもの通りの血圧や体温のチェック。
 朝食のあと片付けや、ベッド周りの整理。
 それが済むと、お薬や退院後の生活の指導書や注意事項を届けて下さったりと、大忙し。
 

 そうこうしているウチに、8時を少し回った頃だったろうか、いつもの通り 先生方が見回りに来て下さいました。
 Y先生は、僕の顔をみるなり声を掛けて下さいました。
『今日は退院ですね・・・・・・ 如何ですか、今朝の調子は?』
『有難うございます。 お陰様で、元気になりました!』
『あの痛いのは、どうなりましたか?』
『ええ、お陰様で、大分少なくなりました。 そう・・・・・・今では1時間に1回位になった上、痛さも大分弱くなって来たので、前に比べると、随分 楽になりました。』
『もう、これからは ドンドン 少なくなって行きますよ』
と言ったあと、続けて
『サア、それでは 抜糸をしましょうか・・・・・・では、横になって下さい』
と言われたので、僕はベッドに横になって パンツをポコチンの下までさげると言った。
『お願いします』
 
 すると、ボコチンの右上・・・・・・場所で行ったら、盲腸の近くあたりとでも言うのだろうか・・・・・・何回か皮膚が引っ張られたり、チョキンチョインと鋏の音がしたと思ったら
『・・・・・・さあ、終りましたよ。手術跡はキレイになっていますから・・・・・・もう大丈夫。』
と先生の声。
 その声を聞いたトタン、フト ある事を思い出してオッカナビックリ先生に言った。
『先生・・・・・・今、引っこ抜いた抜糸の糸・・・・・・今回の手術の記念に戴けませんか?』
 ・・・・・・すると、先生は屈託なく
『ああ、これ? イイデスヨ!』
というと、ベッドテーブルの上の真っ白なティッシュペーパーの上にのっていた 抜糸したばかりの糸屑を、小さなプラスチックの容器に入れて、ティッシュペーパーの上に置き
『いいですか、コレで・・・・・・??』
と言って、僕の顔を見た。




 僕は嬉しくなって
『本当に色々と有難うございました。今回の事は決して忘れません! また、お会いしましょう・・・・・・』
と言って、右手を開いて差し出すと、先生はアッサリと握手をして下さり
『では、お元気で・・・・・・』
と言葉少なに言って、何事もなかったように、お供の人達と部屋を出て行かれました。
 その気負いの無い、ごく自然な振舞いの清々しかった事を
『イイナ・・・・・!!』
と思いつつ・・・・・・改めて、今回の入院の素晴らしさを、暫くの間、感じさせられていた次第である。
 
 
 10時頃だったろうか・・・・・・
 病室にやって来た家内と、ベッドを周りを片付け、入院用具を纏めて、キャリアーに積終った時、僕は家内に言った。
『ねえ、下に降りる前に、ナースステーションに挨拶して行きたいンダケド・・・・・・・』
『そうね、そうしましょう・・・・・・』

 ナースステーションに2人で、行って見ると、ナースステーションには、人影は殆どなく、僅かに一人の看護師さんがパソコンの画面を覗いているだけ・・・・・・・
 そこで、その看護師さんに声を掛け様とした、その時に、今回、色々とお世話になった、看護師のSさんが、もう一人の看護師さんとナースステーションに戻って来られた。
 彼女は、僕の顔を見ると、直ぐに僕に声を掛けた。
『八岳さん、いよいよ退院ですネ・・・・・・?!』
『ウン、今回は・・・・・・本当に有難う! 本当にお世話になりました。 あ、これ家内です・・・・・・。 これ看護師の Sさん・・・・・・彼女には、本当に色々とお世話になったの・・・・・・』
と、Sさんと家内の両方に声をかけると・・・・・・・
『主人が、色々とお世話になりました』
等々、2人の会話が始まり暫くした時に、ふと気が付いて僕は家内に言った。
『皆さん、今の時間はとても忙しい時間だから、お邪魔になるとイケナイから、この辺で失礼しましょう・・・・・・』
と、言って家内を促し(うながし)、ナースステーションを後に僕達はエレベーターの方に向った。
 その 踝(くびす)を返す、一瞬をとらえて、僕は Sさんに小声で行った。
『ねえ、チャンスがあったら、お友達とでも、カレとでもいいから、八ヶ岳のヒュッテに遊びにお出でよ・・・・・・!!』

 その声が彼女にチャント聞こえたかどうか、僕には分からない。
 でも、ニコッと微笑んで、足早に次の仕事に向われたSさんの後姿から察すると、多分・・・・・・多分・・・・・・そして、多分、僕の言った事が聞き取れたンではないかと思います。

 『人生って、何ンて楽しくって、素晴らしいンだろう・・・・・・・!!!!!!!』

 ここ迄、書いて来て、キーボード上の指を止め、目を瞑(つぶ)って、今回の入院の一コマ、一コマを、再度、思い出していると、そんな想いが、改めて心の中を 沁み々々と横切って行くのを感じさせられます。

      

(終わり)